和辻哲郎『風土』



はじめに

 20世紀の日本を代表する哲学者、和辻哲郎1889~1960)。

 本書で彼が説くのは、それぞれの風土のあり方に強く規定された、人間の存在仕方の本質である。

 ここで「風土」というのは、「気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称」のこと。

 わたしたちの思想、文化、芸術等は、わたしたちを取り巻く「風土」にいったいどのように規定されているのだろうか?

 実証的な研究と言うよりは、いくらか「思弁的」な本書の主張に対しては、今日いくらでも反証することが可能かもしれない。

 しかし総体的に見て、和辻の主張にはきわめて深い説得力があるし、随所に見られる洞察も非常に見事だ。

 高校の教科書にも載る本書の内容を、以下で詳しく紹介しよう。


1.モンスーン

 和辻は、まず世界の風土にモンスーン砂漠牧草の3つの類型を置く。

 モンスーンは、日本や中国も含む東アジアの沿岸一帯のこと。砂漠はアラビア、アフリカ、蒙古。そして牧草はヨーロッパである。

 まずモンスーンの風土について。

 その本質は、「暑熱と湿気の結合」にあると和辻は言う。

 湿気は、あらゆる環境の中で最も防ぎがたいものである。

 と言って、モンスーンの自然は人々に抵抗を呼び覚ますほど過酷なわけではない。

 なぜなら、陸においてはこの湿潤が自然の恵みもまたもたらすからだ。

「湿気は最も堪え難く、また最も防ぎ難いものである。にもかかわらず、湿気は人間の内に「自然への対抗」を呼びさまさない。その理由の一つは、陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。」

 しかし同時に、モンスーンの自然環境は、人々に対抗を断念させるほど荒々しい。

「暑熱と結合せる湿潤は、しばしば大雨、暴風、洪水、旱魃というごとき荒々しい力となって人間に襲いかかる。それは人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力であり、従って人間をただ忍従的たらしめる。」

 こうして和辻は、モンスーン域の人々は一般に「受容的・忍従的」性格を獲得することになると言う。

「かくて我々は一般にモンスーン域の人間の構造を受容的・忍従的として把捉することができる。この構造を示すものが「湿潤」である。」    


2.インド

 その例として、まずインドを見てみよう。

 インドは、四季豊かな日本とは異なり「単調な夏」である。

 それゆえ和辻によれば、インドは発展のない固定的な文化にとどまった。

「我々はこれによって南洋的人間が何ゆえに文化的発展を示さなかったかを理解し得るであろう。南洋の風土は人間に対して豊かに食物を恵む。人間は単純に自然に抱かれておればよい。しかも人と自然との関係は、あらゆる移り行きを含まないものである。人間はその受容的・忍従的な関係において固定する。〔中略〕そうして文芸復興期以後のヨーロッパ人に易々として征服され、その奴隷に化したのである。」


 インド人は極めて受容的だが、その第一の理由は、モンスーンにおける雨季とそれゆえの飢饉にあると和辻は言う。

 この、受容的かつ不安動揺的な生のあり方が、インドにおける歴史感覚の欠如と感受性の敏活をもたらした。

 絶えず受容的であることが歴史(の発展)の感覚の芽生えを妨げ、生における不安動揺が人々の感受性を高めたのである。

「インドにおいては受容的な関係が常に不安動揺を含まねばならぬ。受容的であってしかも動くということは、受容性を活発ならしめること、すなわち感受性の敏活である。そこで自然の力の横溢は人間の感情の横溢となって現われる。」

 それゆえ宗教もまた、理論的と言うよりはきわめて抒情的なものとなる。

 もっとも、インドの宗教にはすぐれて思惟的な側面もある。

 が、この思惟も、神々を秩序立てて体系化する合理的(ギリシア的)な思惟とは異なっている。

「多数な神々は、血統的に一つの家族としてまとめられるということもなく、また自然現象の関連をモデルとして一つの体系に統一されるということもなかった。」

 興味深いのは、あの輪廻転生の思想である。

 当初において、この思想は世界の様々な現象を底で統べる原理とされていた。

「我々は今人間にあっても次の世には牛として生きるかも知れない、また前の世には蛇であったかも知れない。従って今牛であり蛇であるものもかつては人間であり、また他日人として現われ得るものである。しからばこれらの衆生は、現象的形態においてさまざまに異なるにしても、本質においてはすべて同一でなくてはならぬ。」    

 しかしやがては、この統一原理も打ち捨てられ、インドの宗教思想は夢幻的な世界観へと展開していく。

 大乗仏典がその典型である。

「そこには感覚的な形象が無限に豊富に積み重ねられ、百千万億の菩薩の行動さえも描かれる。それは人間の直観能力を麻痺せしめるような形象の横溢である。言葉をもって描かれるにかかわらず、ただ巨大な交響楽にのみ比せられ得るような、動ける横溢である。我々はこの形象の横溢に酔わされて、夢幻的な世界に引き込まれて行く。しかしこのような形象の横溢は、全体を統一する構図への無関心や、個々の姿の彫塑的な鮮やかさに対する無関心によってのみ可能となっている。すなわちこの様式は総じて「まとまり」を持たない感情の横溢の表現である。」    

 こうして、インドにおける思弁的哲学の傾向は打ち捨てられていくことになる。

「インドの哲学がさまざまの輝かしい発展を経た後に結局密教やインド教の象徴主義に堕して行ったのも、情的思惟の当然たどるべき道であったと見られ得る。インドの人間はその思弁への強い性向にもかかわらず、再び咒術の信仰に帰ったのである。やがて哲学的なる仏教は圏外に放逐された。」   


3.砂漠

 続いて砂漠的人間について。

 ここで想定されているのは、アラビア、アフリカ、蒙古である。

 砂漠の本質は「乾燥」にあると和辻は言う。そしてその生活は「渇き」にある。

 ここにおいて、人々は次の2つの性格を得る。

「(一)人と世界との統一的なるかかわりがここではあくまでも対抗的・戦闘的関係として存する。」

「(二)自然との戦いにおいて人は団結する。人間は個人としては沙漠に生さることができぬ。従って沙漠的人間は特にその共同態において現われる。草地や泉を自然から戦い取るのは共同態における人間である。しかしこの戦いにおいて人間はさらに他の人間と対立しなくてはならぬ。一つの井戸が他の部族の手に落つることは、自らの部族の生を危うくする。」

 対抗的・戦闘的性格、そして、団結的性格。これが砂漠的人間の本質規定なのだ。

 この自然への対抗的性格は、アラビア芸術にもよく表れていると和辻は言う。

「この特性はそのままアラビア美術として結晶した。あの華麗なアラビア風の装飾模様がいかに著しく人工的であるか、あるいはまたあの簡素と力強さとを輪郭に現わしたモスクがいかに著しく夢幻的であり離自然的であるか、それを正しく理解せしめるものは、沙漠的人間の自然への対抗である。」

 遊牧という生活様式にも、その対抗的性格は顕著に表れている。

「人間は自然の恵みを待つのではなく、能動的に自然の内に攻め入って自然からわずかの獲物をもぎ取るのである。」    

 そしてその絶頂は、彼らの「人格神」に見ることができる。

「沙漠的人間の功績は人類に人格神を与えたことにおいて絶頂に達する。」


「神は「自然と対抗する人間」の全体性が自覚せられたものであり、従って自然の力の神化の痕跡を含んではいない。自然は神の下に立たねばならぬ。」

 自然は神によって征服されるのだ。


3.牧場

 続いて牧場的人間について。

 これは端的にヨーロッパのことである。

 牧場の本質は湿潤と乾燥との総合」にある。


 夏の乾燥において、雑草のない牧場ではモンスーン域と異なり草取りが不必要である。

 それはつまり、自然との戦いがないことを意味する。

 風も弱いので、草木は規則正しく生える。

 ここに、ヨーロッパの自然に対する合理的理解の根があると和辻は言う。

「わが国においては人工的と合理的とが結びつきヨーロッパにおいては自然的と合理的とが結びつくということも言い得られる。ルネサンスのイタリアの絵に背景として描かれるシンメトリーの樹の姿はイタリアにおいては自然的でありつつ合理的な印象を与えるが、桃山時代の襖絵に描かれるうねった樹の姿は日本において自然的でありつつ非合理的な統一を表現している。いずれも自然の生の体験から創作しつつその現わすところが異なって来るのである。」    

「かく見ればヨーロッパの自然科学がまさしく牧場的風土の産物であることも容易に理解せられるであろう。」    


4.ギリシア

 まずギリシアについて見てみよう。

 そこにあるのは、澄みわたる碧空、輝き透る天日である。まさに「明朗なる合理的な自然」。

 ギリシアは、その歴史の始まりにおいて部族闘争を繰り返していた。そのため、彼らは戦闘団体となり、それがのちのポリスとなり、人々は競闘の精神を育んでいった。

 それゆえ彼らの価値観は次のようなものになる。

「生命を賭するという活動そのもの、それによる征服、及び被征服者に対する権力、それらがそれ自身において貴いとせられるのである。〔中略〕ここにギリシア人の性格の顕著な特徴としての競闘の精神が見られるのである。」

 戦闘に敗れたものは奴隷となる。そしてこの奴隷の存在のゆえに、上流階級の人々は「観照」的生活が可能になった。

 「観る」ということについて、和辻は次のような興味深いことを言う。

「自分はかつて津田青楓画伯が初心者に素描を教える言葉を聞いたことがある。画伯は石膏の首を指さしながら言った、諸君はあれを描くのだなどと思うと大間違いだぞ、観るのだ、見つめるのだ。見つめている内にいろんな物が見えて来る。こんな微妙な影があったかと自分で驚くほど、いくらでも新しいものが見えて来る。それをあくまでも見入って行くうちに手がおのずから動き出して来るのだ。——この言葉は恐らく画伯自身が理解していたよりも一層重大な意味を含んでいるであろう。「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。単に手段として観るのならば、目的に限定せられた範囲以上に観る働きは進展しない。観の無限の発展は手段的性格からの解放、従って観の自己目的性を前提とする。ギリシアの市民はちょうどこの立場に立って、互いに観ることを競ったのである。」    

 この「観る」ことを根本とすることで、ギリシアの芸術や思想はその明朗さやイデアの思想に到達することになったのだ。

「明朗なる自然をながめる立場は直ちに明朗なる主体的存在を発展せしめたのである。そうしてそれが明朗なる「形」として、あるいは彫刻や建築に、あるいはイデアの思想に、表現せられたのであった。」    

 しかしこの「明朗さ」は、そもそもギリシアの風土的条件がなければ生まれなかったであろうと和辻は言う。

「自然はすべてを露出している、そうしてそこには一定の秩序がある。この考えは自然哲学者を支配していたとともにまた芸術家を動かす力でもあった。ギリシア彫刻の最も著しい特徴は、その表面が、内に何物かを包める面としてでなく、内なるものをことごとく露わにするものとして、作られていることである。」

「このような合理性は、自然が予料し難いものを内に隠して不規則的に現われてくる地方においては、容易に見いだされ得ないものであった。そこでは植物や山野の形が不規則的であるのみならず、人体もまた均斉や比例を示していない。」

 ではローマはどうか?

 ローマは、ギリシアより一層自然を人工的に支配した帝国である。

 それはあの水道網に顕著に見られる。

 なぜ、ローマではこれほど人工支配が盛んになったのか?

 和辻は言う。

「そこはギリシアと異なってもと森林に覆われていた。しかもそれが開墾されて畑となり果樹園となり牧場となるに当たって、人工の支配が一層有効に行なわれ得たのである。だから人工的・合理的な自然の支配という点においては、イタリアはギリシアに優ると言ってよい。これがローマ人をして人工の支配を無制限に押し進めるという傾向を持たしめたのである。」    


5.西洋の憂鬱

 夏の心地よい乾燥に比して、ヨーロッパの冬は一般に非常に寒い。

 しかしその寒さは、しのぎにくいほどのものではないと和辻は言う。

「一言にして言えば西欧の寒さは人間を萎縮せしめるよりもむしろ潑剌たらしめる。それは人間の自発的な力を内より引き出し、寒さに現われた自然の征服に向かわしめ、そうしてそれを従順な自然たらしめている。」    

 ここにもまた、規則に従う従順な自然という概念が芽生える土壌があった。

 他方、ヨーロッパの冬は日照時間が短いのが特徴である。「西洋の憂鬱」と呼ばれるものだ。

 ここに、和辻はヨーロッパにおいてキリスト教が大成功を収めた理由を見出す。

 西洋の憂鬱が、砂漠の恐怖と共鳴したと彼は言うのだ。

「それは陰惨の苦闘がちょうど沙漠の恐怖と共鳴したからなのである。意志的・人格的な唯一神を西欧人ほどよく受け容れたものはなく、また旧約の予言者たちの意志的・倫理的な情熱を西欧人ほどよく理解したものもないであろう。」    

 この点、どれほど信憑性があるものか、若干疑わしくも思うのだが……

 ともあれ、ここで和辻は次のような非常に重要なことを言う。

「比論をもって語るならば、聴覚の優者において音楽の才能が最もよく自覚せられ、筋肉の優れた者において運動の才能が最もよく自覚せられる。〔中略〕ちょうどそのように、牧場的風土においては理性の光が最もよく輝きいで、モンスーン的風土においては感情的洗練が最もよく自覚せられる。それならば我々は、音楽家を通じて音楽を己れのものとし、運動家を通じて競技を体験し得るように、理性の光の最もよく輝くところから己れの理性の開発を学び、感情的洗練の最も現せられるところから己れの感情の洗練を習うべきではなかろうか。風土の諸国民をしてそれぞれに異なった方面に長所を持たしめたとすれば、ちょうどその点において我々はまた己れの短所を自覚せしめられ、互いに相学び得るに至るのである。またかくすることによって我々は風土的限定を超えて己れを育てて行くこともできるであろう。」

「牧場的国土はある意味では楽土であるが、しかし我々は己れの国土を牧場に化することはできない。しかも我々は牧場的性格を獲得することはできるのである。」

 それぞれの風土において育まれる長所がある。わたしたちはそれを真摯に学び合おうではないか。

 和辻はそう言うのだ。


6.中国

 ここで再びモンスーンに戻って、中国について。

 その風土的本質は単調空漠にあると和辻は言う。

「揚子江とその平野との姿が我々に与える直接の印象は、実は大陸の名にふさわしい偉大さではなくして、ただ単調と空漠とである。茫々たる泥海は我々に「海」特有のあの生き生きとした生命感を与えない。また我々の海よりも広い泥水の大河は、大な「漫々として流れる」というあの流れの感じを与えない。同様に平べったい大我々の感情にとって偉大な形象ではない。〔中略〕従ってシナ大陸の大いさは、直接にはただ変化の乏しい、空漠たる、単調な気分としてのみ我々に現われる。」    

 したがって、中国人は動じにくく、きめの細やかさがなく、芸術においても大掴みのものが一般的である。

 同じくその大帝国も、きめの細やかさを欠いていた。

「ヨーロッパでこれに桔抗し得るものはただ最盛期のローマ帝国のみであるが、シナでは秦漢以来あとからあとから現われ、最後の大清帝国は近いころまで続いていた。この点のみを見ればシナ人はすぐれた政治家のように見える。しかしこの大帝国なるものは、国土のすみずみまで統治の行きわたったきめの細かな国家ではなかったのである。外観は整然たる大帝国でありながら、民衆は本来無政府的であり、国内の匪賊は常に百万乃至二百万を数える、それがシナの本来の姿なのであった。」    


7.日本

 日本はどうか。

 日本は、モンスーン域の中でも、熱帯寒帯の両者の特徴を持つ特殊な地域であると和辻は言う。

「大雨と大雪との二重の現象において日本はモンスーン域中最も特殊な風土を持つのである。それは熱帯的・寒帯的の二重性格と呼ぶことができる。」

 それゆえ日本人の性格は、受容的・忍従的なモンスーン域の人間の特徴の上に、熱帯と寒帯を行き来する「突発性」が加わることになる。

「四季おりおりの季節の変化が著しいように、日本の人間の受容性は調子の早い移り変わりを要求する。だからそれは大陸的な落ちつきを持たないとともに、はなはだしく活発であり敏感である。活発敏感であるがゆえに疲れやすく持久性を持たない。しかもその疲労は無刺激的な休養によって癒されるのではなくして、新しい刺激・気分の転換等の感情の変化によって癒される。」    

「あたかも季節的に吹く台風が突発的な猛烈さを持っているように、感情もまた一から他へ移るとき、予期せざる突発的な強度を示すことがある。日本の人間の感情の昂揚は、しばしばこのような突発的な猛烈さにおいて現われた。」    

 日本人は、移り変わりを好み、そしてまた突発的な猛烈さもまた好むのだ。

 急激な社会変革が起こりうるのはそのためだ。そしてまた、「桜」に日本人の魂が投影されるのもそのためである。

 モンスーン的な忍従もまた、日本人のそれは独特である。

「暴風や豪雨の威力は結局人間をして忍従せしめるのではあるが、しかしその台風的な性格は人間の内に戦争的な気分を湧き立たせずにはいない。だから日本の人間は、自然を征服しようともせずまた自然に敵対しようともしなかったにかかわらず、なお戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならぬあきらめに達したのである。日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)は、右のごとき忍従性を明白に示している。」

 日本人の忍従には、台風的なヤケが時に伴うのだ。

 また、このヤケは執拗であってはならず、突発的なものでなければならない。日本人にとっては、きれいにあきらめることが美徳なのである。

「反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美せられるが、しかしそれは同時に執拗であってはならない。きれいにあきらめるということは、猛烈な反抗・戦闘を一層嘆美すべきものたらしめるのである。すなわち俄然として忍従に転ずること、言いかえれば思い切りのよいこと、淡白に忘れることは、日本人が美徳としたところであり、今なおするところである。」    

 これを和辻は、「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」と表現する。


8.日本の家族

 日本人の家族観も、その他の地域のそれとは当然異なっている。

 牧場(ヨーロッパ)の家族は、基本的に核家族である。

(もっとも、本書における和辻のヨーロッパのまとめ方は雑すぎると言わざるを得ない。ヨーロッパや世界の家族のあり方の多様性については、エマニュエル・トッド『家族システムの起源』『世界の多様性』などのページを参照されたい)。

 砂漠の家族は、基本的に部族家族だ。

 それに対して、日本人は「家」に最も重要な価値を置く。

「親のために、また家名のために、人はその一生を犠牲にする。しかもその犠牲は当人にとって人生の最も高い意義として感ぜられていたのである。」

 なぜか?

 「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」は、まさにこのような「家」においてこそ発揮されるものであるからだ。

「かくして「家」としての日本の人間の存在の仕方は、しめやかな激情・戦闘的な恬淡というごとき日本的な「間柄」を家族的に実現しているにほかならぬ。

 「お家のために」は、和辻によれば「しめやかな劇場、戦闘的な恬淡」を象徴するものなのだ。

 もっとも、急激な西洋化に伴って、このような家族観は徐々に廃れていっているのではないかと人は言う。

 しかし和辻は、人々の生活様式に、このような家族観は今も染み付いていると主張する。

 なぜなら日本人は、今なお「家」(うち)と「外」とを截然と区別して暮らしているからだ。

「まず第一に「家」はその内部において「距てなき結合」を表現する。〔中略〕たとい襖や障子で仕切られているとしても、それはただ相互の信頼において仕切られるのみであって、それをあけることを拒む意志は現わされておらぬ。」

「第二に「家」はそとに対して明白に区別せられる。部屋には締まりをつけないにしても外に対しては必ず戸締まりをつける。のみならずその外にはさらに垣根があり塀があり、はなはだしい時には逆茂木や濠がある。そとから帰れば玄関において下駄や靴をぬぎ、それによって外と内とを截然区別する。」

 それに対して、ヨーロッパでは家の中にも鍵がついている。これは個人主義を育む建築様式である。

 その代わり、ヨーロッパには公共の場があり、公園があり、個々人はそこで互いに出会うことになる。

「人はきわめて個人主義的であり従って距てがあるとともに、またきわめて社交的であり従って距てにおける共同に慣れている。すなわちまさしく「家」に規定せられるということがないのである。」


9.未熟なデモクラシー?

 和辻によれば、ここにこそヨーロッパでデモクラシーが起こった土壌がある。

 逆に言えば、これが日本でデモクラシーが育まれない理由である。

 日本では、個々人が出会う公共の場がなく、むしろ求められるのは家族の団欒なのだ。

「洋服とともに始まった日本の議会政治が依然としてはなはだ滑稽なものであるのも、人々が公共の問題をおのが問題として関心しないがためである。」

「それに対して城壁の内部における生活は、脅威への忍従が人から一切を奪い去ることを意味するがゆえに、ただ共同によって争闘的に防ぐほか道のないものであった。だから前者においては公共的なるものへの無関心を伴った忍従が発達し、後者においては公共的なるものへの強い関心関与とともに自己の主張の尊重が発達した。デモクラシーは後者において真に可能となるのである。」


10.皇室について

 続いて和辻は、彼の天皇肯定論を象徴するとされる考えを披露する。

「いわく、日本の国民は皇室を宗家とする一大家族である。国民の全体性は、同一祖先より出づるこの大きい家の全体性にほかならない。そこで国家は「家の家」となる。」    

 皇室は、日本人にとって「家の家」なのである。

 もっとも、それは理論的には整合性のない考えであると和辻は言う。

「この忠孝一致の主張が理論的にも歴史的にも多くの無理を含むことは一見して明らかである。家の全体性は決してそのままに国家の全体性ではあり得ない。家族は直接の生活の共同として人間の共同態の初めであり、国家は精神的共同態として人間の共同態の終わりである。前者は最も低次の全体性であり、後者は最高の人間全体性である。連帯性の構造が両者において異なっている。だから人間の構造として家族と国家を同視するのは間違いである。」

 しかしそれでもなお、日本人は皇室を「家の家」として表象してきたのであり、そうである以上、ここには歴史的意義を認めなければならないと和辻は言う。


「にもかかわらず我々は、家のアナロギーによって国民の全体性を自覚しようとする忠孝一致の主張に充分の歴史的意義を認める。それはまさに日本人がその特殊な存在の仕方を通じて人間の全体性を把捉するその特殊な仕方にほかならぬのである。」


11.芸術について

 続いて、それぞれの風土における芸術の特徴について。

 先述したように、ヨーロッパはその自然の規則性・合理性のゆえに、規則的・合理的な文化を持った。

 それは芸術においても例外ではないと和辻は述べる。

「ヨーロッパ的なる美術は、それが優れたものであるときにもまた浅ましいものである時にも、同じように規則にかなうことを重大視するものとなった。」

「ローマ人は、その発明した円形劇場や公衆浴場などが示しているように、風景の美を顧みないでただ人工的なものの内に享楽することを特徴とした。」

「庭園において人が喜んだのは、自然を支配する人工の力のよろこびにほかならぬ。」

 それに対して、日本の芸術は、もともと無秩序な自然を理想化するという、「自然の理想化」の方向に発展した。

「無秩序な荒れた自然のうちから秩序やまとまりを作り出すという努力が、日本人をして造園術についての全然異なった原理を見いださしめた。自然を人工的に秩序立たしめるためには、自然に人工的なるものをかぶせるのではなく、人工を自然に従わしめねばならぬ。人工は自然を看護することによってかえって自然を内から従わしめる。」

 ここにおいて重視されるのは、シンメトリーのような合理的なバランス(つりあい)ではなく、「気合いによるつりあい」である。

「かかる絵の構図にはシンメトリーというごときことはいかなる意味でも認められない。しかもそこには寸分の隙間もない釣り合いが感ぜられる。何ものも描かれざる空白が、広い深い空間として濃い雀の影とつり合い、この雀の持つ力が、淡い竹葉のうちに特に際立って濃くされた二三の竹葉の力と相呼応する。こうしてそれぞれのものが動かすことのできない必然の位置を占めている。このような気合いとしてのつり合いの関係によって、物象がただ片隅に描かれているようなこの画面をも豊かなまとまりあるものとして感ぜしめるのである。」    

 また、日本の絵画には、絵巻物に顕著に見られる「時間性」を表現する特徴がある。

 この一枚の絵に時間性を流し込む表現方法もまた、「気合いによるつりあい」の一種と言える。

「我々の絵画においてはさらに時間的な契機を入れた特殊なまとめ方が重要な位置を占める。すなわち絵巻物のまとめ方である。西洋の絵画においては物語を題材とした続きものを描く場合でも、続いているのはただ物語の内容だけであって、絵自身は一々独立した構図を持つか、あるいは一々独立しつつ装飾的な大きい全体にまとめられているかである。しかるに絵巻物においては構図そのものが時間的に展開し行くように作られている。」

 さらに、連歌にいたっては「気合いによるまとめ」が最高潮に達している。

「この種の特殊なまとめ方を思うとき、連想は我々を文芸の一つの特殊な形式「連句」に連れて行く。連句においてはおのおのの句は一つの独立した世界を持っている。しかもその間に微妙なつながりがあり、一つの世界が他の世界に展開しつつ全体としてのまとまりをも持つのである。〔中略〕全体としてのまとまりは「偶然」の所産であるが、しかもそのために全体はかえって豊富となり、一人の作者に期待し得ぬような曲折を生ずるのである。しかしながら「偶然」がどうして芸術的な統一を作り出し得るであろうか。ここでも答えは気合いである。しかも人格的な気合いである。一座の人々の気が合うことなしには連句の優れたまとまりは得られない。人々はその個性の特殊性をそのままにしつつ製作において気を合わせ、互いの心の交響・呼応のうちにおのおのの体験を表現する。かかる詩の形式は西洋人の全然思い及ばなかったものである。」    

 日本の芸術は、偶然性をもまた「気合い」によってまとめてしまうのだ。

 こうして和辻は、機微に富んだ東洋の芸術と、単調な西洋の芸術という対比を描き出す。

「湿気の乏しいヨーロッパの大気は、単調な露あるいは霧を作り出しはしでも、それによって我々の気分に細かい濃淡を与えるほどの変化には富んでいない。北欧の特徴である単調に陰惨な曇り日、南欧の特徴である常持心晴朗な晴天、——この単調さが確かにヨーロッパの特徴であると言えよう。これはまた気温の変化とも密接に関係する。寒暖計はヨーロッパの一日にも気温の高低のあることを示してはいるが、しかしそれはただ物理的な事実であって、我々の気分の上には決して顕著でない。湿気と温度との相関関係から起こるあのさま、ざまな現象、——たとえば夏の夕方の涼しさ、朝の爽やかさ、秋には昼間の暖かさと日暮れ時の肌寒さとの聞に気分を全然変化させるほどの烈しい変化があり、冬でさえも肌をしめるような朝の冷たさの後にほかほかとした小春日の暖かさが来る、——そういう変化に富んだ現象を我々はヨーロッパにおいて経験することができない。」    

 そう単純にまとめてしまっていいかどうか、疑問も残らないわけではないが、和辻の巨視的な世界の構造化の能力については、高く評価しないわけにはいかないだろう。

(苫野一徳)




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ニーチェ『この人を見よ』


はじめに

 ニーチェ最後の自伝的著作。

 「この人を見よ」(Ecce homo)は、言うまでもなく聖書の言葉。

 ローマ帝国のユダヤ総督ピラトが、逮捕されたイエス・キリストを指して言った言葉だ。

 自身を、キリスト教を打ち倒し、それに代わる価値を打ち立てた哲学者と考えたニーチェらしいタイトルだ。

 各章のタイトルは、「なぜ私はこんなに賢いのか」「なぜ私はこんなに利口なのか」「なぜ私はこんなに良い本を書くのか」「なぜ私は運命であるのか」と続く。

 これだけを読めば正直失笑を禁じ得ないのだが、ニーチェの哲学には、そのような大言壮語が許されてしまう説得力が確かにある。

 ニーチェの哲学は、確かにそれ以降の哲学に根本的な変化をもたらした。

 次のニーチェの傲岸な言葉も、だから素直に受け止めてあげることにしよう。

「私は私の運命を知っている。いつか私の名前には、とてつもない出来事についての記憶が結びつくだろう。」   
 

1.なぜ私はこんなに賢いのか

 本章では、ニーチェの天才の秘密が語られる。

 ニーチェによれば、それは彼が「命の最上段と最下段のパースペクティブを自由に切り替える」ことができることにある。

 36歳の時、深刻な病気に見舞われた彼は、しかし本当の意味で病むことなどなく、むしろより広いパースペクティブを手に入れたと言うのだ。

「病人の光学によって、より健康な概念と価値を調べてみること、そして今度は逆に、豊かな生の充実と自己確信から、デカダンスの本能のひそかな仕事を見下すこと——そういうことを私は、長い時間をかけて練習し、自分自身で経験した。もしも私がなにかの達人になったのなら、それは、ースベクティプを切り替えることにおいてである。いま私はこのことをマスターしており、このことを自在にできるのだ。」    

「典型的に健康な人間にとって、病気であることは、生きようとさせる、もっと生きようとさせるエネルギッシュな興奮剤にすらなることがある。今では実際、私には当時の長い病気の時代がそんなふうに思える。つまり私は、生というものを、私自身をも含めて、いわば新たに発見したのだ。〔中略〕私の生命力が最低だった数年こそが、私がペシミストであることをやめた時期だったのである。自己回復の本能が、私に貧しさと落胆の哲学を禁じたのだ。」    

 病気のおかげで、ニーチェは、ルサンチマン(妬み、嫉み、恨み)についての理解を深めることができるようになったとも言う。

「怨恨感情に縛られていないこと、ルサンチマンのことをよく知っていること——結局このことも、じつはなんと、私が長いあいだ病気だったおかげなのだ!」    

 強者にルサンチマンを抱く弱者は、「強者は悪である」「弱者は善である」という転倒した価値観を作り出す。

 後述するように、ニーチェにとってキリスト教とはそのようなルサンチマンの宗教にほかならないわけだが、そのような洞察もまた、彼は病気のおかげで得ることができたと言うのだ(ニーチェ『道徳の系譜』のページ参照)。

 そのような、ルサンチマンとは正反対の高みにいると自負する「強者」ニーチェは、だからこそ、キリスト教をはじめとする強大な敵たちと戦ってきた。

 ニーチェは言う。自分はだれかれ構わず攻撃してきたのではない。攻撃するに値する、強大なものとだけ戦ってきたのだと。

「敵と対等であること——それが、誠実な決闘の第1の前提である。自分が軽蔑している相手とは、戦うことができない。自分が命令するような相手とは、自分が見下しているようなものとは、戦う必要がない。私が実施する戦いは、4つの要項にまとめることができる。まず第1に、私が攻撃するのは、勝ち組だけだ。——場合によっては、相手が勝ち組になるまで、私は待つ。第2に、私が攻撃するのは、私と同盟を結ぶ者がいないときだけである。つまり、私が孤立無援のときだけだ。——面目をつぶすのが私だけのときである。……私の面目をつぶさないようなときに、私は公に一度も攻撃したことがない。これが、正しい行動についての私の判断規準である。第3に、私はけっして個人を攻撃しない。——強力な拡大鏡として個人が使えるときにしか、攻撃の対象にしない。」    


2.なぜ私はこんなに利口なのか

 続いて、「なぜ私はこんなに利口なのか」の章。

 その理由は、まず、問うに値しないくだらない問いには見向きもしなかったからだとニーチェは言う。

「「神」、「魂の不滅」、「救い」、「彼岸」、これらは、私が注意を払ったこともなければ、時間を割いたこともない概念ばかりだ。」

「それとはまったく別の問題に私は興味がある。どこかの神学者の骨董品のような問題よりは、ずっと「人類の幸せ」にかかわることだ。栄養の問題である。」

 神とか彼岸とかについて考える連中は、内臓を病んだルサンチマンの僧侶たちである。

 そんなものにかかずらっている暇があれば、たっぷりと栄養をとってルサンチマンを克服せよとニーチェは言う。

「すべての偏見は、内臓からやってくる。」    

 多くの学者どもも同じだ。彼らは「本をひっかき回している」だけで、自分の頭でものを考えない。

「要するに本を「ひっかき回している」だけの学者は——並みの文献学者なら1日で約2百冊だが——、結局、自分の頭で考えるという能力をすっかりなくしてしまう。本をひっかき回さないときは、考えないのだ。考えるときは、刺激(——つまり本で読んだ思想)に答えるわけだが、——結局それは、反応しているだけのことである。学者は、すでに誰かが考えたことにイエスやノーと言うこと、つまり批評することに、全力を使ってしまうので、——自分ではもう考えないのである。    

 真に利口であるためには、「運命愛」を抱くことが重要だとニーチェは言う。

 こうじゃなければよかったのに、あんなはずじゃなかったのに、などと、現実を嘆き否定ばかりするのはルサンチマンを抱える弱者である。

 どのような運命に対しても「然り」ということ。そのような人間こそが、利口で幸福な人間なのだ。

「人間の偉大さをあらわす私の公式は、運命愛()である。どんなことも今とは別なふうであることを望まないことだ。未来においても、過去においても、永遠においても、けっして。必然的なことに耐えるだけではなく、必然的なことを隠したりもしない。——どんな理想主義でも、必然的なことの前では偽物になる。——耐えたり隠したりせず、必然的なことを愛するのだ。」    

 
3.なぜ私はこんなに良い本を書くのか

 自分の本は、これまでしばしばひどい誤解にさらされてきたとニーチェは言う。

 というのも、人間は自分の物差しでしか人を測ることができないからだ。

「結局のところ誰も、自分がすでに知っている以上のことを、本も含めて、いろいろなものから聞き出すいことはできない。自分の体験から近づくことができないものについて、われわれは聞く耳をもたない。」

「だから、私とは正反対のニーチェ像が、たとえば「理想主義者」が仕立てられることも、めずらしくない。」

 しかし偉大な思想は、偉大な読み手を必要とする。そして偉大な思想には、それにふさわしい文体がある。

「良い文体であれば、かならず、内的状態を本当に伝えている。〔中略〕良い文体そのもの——などというものが存在すると考えるのは、まったく愚かな話である。「観念論」にすぎない。たとえば「美そのもの」とか、「善そのもの」とか、「物自体」とか。……あいかわらず前提とされているのは、聞いてくれる耳が存在していることだ。——著者と同等のパトスに耐える能力と気品をそなえた人が、存在していること。著者が自分の書いたことを伝えてもよいと思えるような相手が、いること。」    

 以下、ニーチェは自身の著作の数々を自ら解説していくのだが、ここでは割愛することにしたいと思う。


4.なぜ私は運命であるのか
 
 「すべての価値の価値転換」

 これがニーチェの最大の仕事だった。

 それはつまり、ルサンチマンの宗教から超人の哲学への転換だ。

 善とは利他的であることである、と言う者たちが、実はルサンチマン(奴隷道徳)を抱えた弱者であることを暴くこと。

「私がしゃべっているのは真理である。——だが私の真理は恐ろしい——というのもこれまではが真理と呼ばれていたのだから。——すべての価値の価値転換。これが、人類にとって最高の自覚という行為をあらわす、私の公式である。その行為が、私のなかでは肉となり、天才となったのだ。私の運命は欲している。私が最初のまともな人間でなければならない、と。また私が何千年もの偽りと戦っていることを自覚している、と。……私は、はじめて嘘を嘘だと感じた——嗅ぎつけた——ことにより、私がはじめて真理を見したのだ。」    

 キリスト教を、これほど根本から否定・誹謗した者が他にあっただろうかとニーチェは言う。

「これまではキリスト教の道徳を自分の下位にあると感じていた者はいなかった。そう感じるためには、高さが、見通しが、これまで聞いたことのないような心理学的な深さや底知れなさが必要である。キリスト教の道徳は、これまではすべての思想家にとって魔女だった。——すべての思想家は魔女に仕えていたのだ。——私の前に誰が、このような——世界を誹謗する!——理想の毒気が立ちのぼってくる洞穴のなかへ降りていったか? 誰が、それが洞穴であるということを、せめて予想くらいはしようとしただろか?」    

 魂、精神、神、彼岸、隣人愛……これらはすべて、ルサンチマンの持ち主たちによるでっち上げである。

「たとえば、生にとって最優先すべき本能を軽蔑するように教えてきた。からだを侮辱するために、「魂」や「霊」や「精神」をでっち上げた。生の前提、つまり性を不潔なものと感じるように教えた。成長のためにはもっとも深く必要なものである、断固とした自分欲(——この言葉からして中傷的なひびきがある! ——)を悪い原理だと見なそうとしている。そして逆に、下降と反本能の典型的なしるし、つまり無私や、重力の喪失や、「脱人格化」や「隣人愛」(——隣人だ!)には高い価値、それどころか! 価値そのものがあると見ているのだ! ……なんということだ! 人類は自分でデカダンスに陥っているのか? 人類はいつもデカダンスだったのか? ——確かなことは、人類にはデカダンスの価値だけが、至上の価値として教えられてきたということである。」    

 最後にニーチェは言う。

「最後に——これが一番恐ろしいことだが——善人という概念においては、すべての弱者、病人、出来そこない、自分自身に苦しんでいる者が支持されている。滅ぶべき者がすべて支持されているのだ。——自然選択の法則が十字架にかけられている。誇り高く、出来のよい人間、イエスを言う人間、未来を確信し、未来を保証する人間に対する異議から理想がつくられている。——異議を申し立てられた人間のほうが、いまや悪人と呼ばれているのだ。……そしてこれらがすべて道徳だと思われているのである! ——このけがらわしいものを踏みつぶせ!」    


(苫野一徳)

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