バタイユ『エロティシズム』

はじめに

 エロティシズムの本質を見事にとらえた、バタイユの傑作。


 エロティシズム哲学の最高峰にして、その後の哲学や芸術に多大な影響を与えた名著だ。

 人間は、単に理性的・合理的に生き続けるだけの存在ではない。

 私たちは、時にあまりに非合理なほどに、エロティシズムの狂気において生を蕩尽することがある。

 それはなぜか。そしてそこに見られる精神的本質は何か。

 バタイユの筆が冴え渡る。


1.エロティシズムの定義

「エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだと言える。」

 これはいったい、どういう意味か。


2.連続性と非連続性

「生の根底には、連続から不連続への変化と、不連続から連続への変化とがある。私たちは不連続な存在であって、理解しがたい出来事のなかで孤独に死んでゆく個体なのだ。だが他方で私たちは、失われた連続性へのノスタルジーを持っている。私たちは偶然的で滅びゆく個体なのだが、しかし自分がこの個体性に釘づけにされているという状況が耐えられずにいるのである。」

 私たちは、一個の人間として、他者から切り離された、つまり「不連続」な存在だ。

 しかしこの「不連続性」に、私たちは耐えられない。私たちはどこかで、他者とのつながり、つまり「連続性」を求めてしまうのだ。

 「不連続」な私たちが絶対的な「連続性」へと回帰しうるのは、ただ「」によってのみである。しかし「連続性」の「体験」は、決して「死」によってのみ可能になるものではない。


 バタイユは言う。

「この連続性への開けこそエロティシズムの奥義であり、またエロティシズムだけがこの開けの深い意義をもたらすのだ。」

 死にまでは至らない、しかし死におけるまで、この「連続性」を求める「生」を称えること。

 これがエロティシズムの本質だ。
 
 バタイユはそう言うのである。

 孤立した存在としての「私」が、自らの「死」を予感させるほどに相手と連続したいと思わしめるもの、それがエロティシズムの本質なのだ。


3.禁止と侵犯

「侵犯は、何度繰り返されても、禁止に打ち勝つことはできないが、しかしあたかも禁止は、禁止が排除するものに栄光の呪詛を与える手段にすぎないかのようなのだ。」

 人間は労働によって動物とは異なる存在となった。バタイユはまずそのように言う。

 「労働」によって、私たちは計画的に生産し、安定した生活を獲得したのだ。

 しかしこの「労働」が、人間社会における「禁止」を生み出した。

 一過的な欲望や激しすぎる欲望は、労働の生産性を下げてしまうため「禁止」されなければならない。

 人間社会、それは基本的に、この労働」=「禁止の世界なのである。

 しかし私たちは、あるものがただ「禁止」されているというだけで、そのこと自体を何かしら魅力的なもののように思ってしまう傾向がある。


 計画的で長期的な労働と禁止の世界の中にあって、私たちはいわば本能的に、これを打ち破りたいという欲望を持ってしまっているのだ。

 禁止は現実社会の本質であり、侵犯は私たち人間の欲望の本質なのである。

 それを最も象徴するものこそが、「性」である。

 「性」は、それが禁止されているからこそ、これを「侵犯」したいという強い欲望を私たちに抱かせる。

「禁止は侵犯されるために存在している」

 つまり、

「人間の欲望が向かう対象は、《禁止》されているのである。」


4.男の欲望、女の欲望

「女は、男の攻撃的な欲望に、自分を対象として、客体として呈示するのである。
 どの女のなかにも潜在的に娼婦がいるというわけではないが、売春は女の姿勢の帰結である。女は、その魅力の程度に応じて男の欲望の的になる。」

 男は女のをわがものにしたいという攻撃的な欲望をもつ。それに対して、女はこの欲望の対象になるということに欲望を抱く。

 バタイユはそのように言う。物議をかもしそうな言い方ではあるが。。。


5.美

 男が女の美を求める、その本質はなんだろうか。バタイユは次のように言う。

「人は美を汚すために美を望んでいるのだ。美そのもののためにではなく、美を汚しているという確信のなかで味わえる喜びのために、美を望んでいるのである。」
「まず女性の陰部を開示することで、次いでそこに男性器を挿入することで、汚すのである。」

 女の美それ自体を、男は求めるのではない。

 この美を汚すということ。ここにエロスがある。

 まさに美を「侵犯」するということ。これこそがエロティシズムの本質なのだ。


6.此岸にとどまりつつ、彼岸を欲望する

 バタイユによれば、「最高のエロティシズム」は次のようなものである。

「極限まで行くことなく、決定的な一歩を踏みだすこともなく、超出したいとする欲望のなかに留まることは、なんと甘美なことだろう。極限へ赴きながら死んでゆく、欲望の過剰な暴力に従いながら死んでゆくということをせずに、この欲望の対象〔客体、事物〕の前に長く留まり、生の内に自分を維持するのは、なんと甘美なことだろう。」

 此岸と彼岸のはざまにおける、転覆ぎりぎりの綱渡り。

 これこそが「最高のエロティシズム」である。バタイユはそう主張する。



(苫野一徳)

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