トッド『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』

  はじめに

 2009年10月、4度めの来日を果たしたエマニュエル・トッドの講演・インタビュー録。

 昨日紹介した『アラブ革命はなぜ起きたか?』同様、学術書ではなくある程度ラフなトーク集のため、かえってトッドの思考のキモが見えやすい。

 本書のポイントはきわめて簡明だ。

 今日世界中が見舞われている、未曾有の世界経済危機。その根本的理由は、世界的な需要不足にある。

 ケインズ以来、一国内における需要不足には財政出動によって総需要を喚起するという政策が取られてきた。

 しかしグローバル社会における自由貿易においては、この方策が通用しなくなっている。


 なぜか。自由貿易下の競争においては、中国などの安い労働力に対抗するため、先進国も労働者の賃金切り下げを遂行するからだ。

 そして賃金の低下は、労働者の消費を抑え込むことになる。こうして需要不足に拍車がかかる。

 だからこの状況においては、(ヨーロッパは)保護主義の策を取るべきである。

 トッドはそう主張する。 

 保護主義というと今日では悪イメージがあるが、それは安易なイデオロギーにすぎないとトッドはいう。

 というのも、歴史的にいって、現代の民主主義はまず保護主義によって守られてきたからだ。

 人びとの格差を広げ、超富裕層による社会支配をもたらしたものこそ、自由貿易にほかならなかったのだ。

 後述するように、トッドは保護主義を教条的に主張しているわけではない。今日における需要不足と深刻な格差拡大に対抗するための、一時的・合理的・協調的な策として主張するのだ。



1.世界的経済危機の理由

 2008年以降の世界金融危機

 今日世界は未曾有の経済危機に見舞われているが、トッドはその根本的な理由を、世界規模の需要不足にあるとみる。

「なぜいま需要が不足しているのか。いくら経済再建の政策がとられても、自由貿易が支配的であるかぎり需要は喚起されない構造になっているからです。」

 それはなぜか。

 先述したように、自由貿易下の競争においては、中国などの安い労働力に対抗するため、先進国も労働者の賃金切り下げを遂行するからだ。

 そして賃金の低下は、労働者の消費を抑え込むことになる。

「国内経済において需要を支える労働者の賃金も、海外市場を目指す企業にとっては、単なるコストとなってしまう。国際的な競争が激しくなれば、企業経営者はさらに労働力コストを下げようとする。このように世界中の企業が労働力コストの削減を競い合えば、労働者の賃金は世界的にますます低下し、結局、世界規模で需要が縮小するという悪循環に陥る。

 このような状況においては、いったん自由貿易から保護主義へと移行する必要がある。

 これが、本書におけるトッドの主張の要諦だ。

 ただしトッドは、これをプラグマティックな方策だと主張する。

 現代における自由貿易の信奉者は、文字通りこれを信奉し、いついかなる時でも自由貿易こそ善であるというイデオロギーを抱いている。

 しかしトッドは、状況に応じて政策は変えられてしかえるべきだというのだ。

自由貿易の提唱者と保護主義の提唱者には、根本的な違いがあります。自由貿易の提唱者は、教条主義者です。いかなるときでも、自由貿易が唯一の方法であると信じて疑わない。それに対し、保護主義の提唱者は、現実主義者、プラグマティストです。つまり、歴史のそれぞれの局面において、それぞれ異なる解決策が必要だと考える。したがって、時代によって、また国によって、解決策は異なると考える。

 ある意味「当たり前」の指摘ではあるが、実際自由貿易が教条化してしまっている以上、トッドのこの指摘は改めて肝に命じておく必要がある。

 ちなみにトッドは、保護主義をヨーロッパがとるべき策として主張している。日本の場合には、やや微妙(というよりはっきりとは分からない)との見方を示しているようだ。


2.格差を拡大する自由貿易

 トッドが以上のように主張する背景には、歴史的にいって、自由貿易が格差を拡大してきたという事実がある。


「イギリスは、十七世紀、十八世紀に経済的に発展しました。当時、クロムウェルの下で、保護主義的な経済政策が行われていたわけですが、同時に民主主義も進展します。それに対し、ビクトリア王朝期には、むしろ不平等が拡大しました。この時採られた政策は、自由貿易です。いずれにしても、この英国の例は大変興味深いと思います。アメリカでも、南部の奴隷制維持を主張していた人々が、自由貿易を主張しました。それに対し、北部の民主主義を主張した人々は、保護主義的な政策をとって工業を発展させました。この場合も、民主主義は、明らかに保護主義と連関しています。フランスでも、第三共和政は、民主的に極めて安定した体制であったわけですが、経済政策としては保護主義が採られていました。」

 そしていう。

「これは、歴史を振り返れば、当たり前とも言えることです。なぜなら自由貿易は不平等、格差を拡大するものだからです。したがって、自由貿易体制を長期に続ければ、必ず社会の不平等は拡大し、非常に優遇された超富裕層が社会を支配していくことになる。


 まさに、現代起こっていることだといえるだろう。(ちなみに、特にアメリカにおける格差の拡大については、スティグリッツ『世界の99%を貧困にする経済』にくわしい。)

 そうしてトッドはいう。この一部の超富裕層による支配は、民主主義の危機にほかならないのだと。したがって次のように主張する。

自由貿易を選べば、民主主義は諦めなくてはならない。民主主義を選ぶのであれば、自由貿易は諦めなくてはならない。


3.エリートの「ナルシスト化」と大衆のルサンチマン

 本書におけるもう1つのポイントは、高等教育(大学)への進学率の高止まりが生み出した現象の解読にある。

 アメリカでは60年代に、フランスでは95年に、そして日本でもおそらく近年、大学への進学率が高止まりした。

 こうなると、高等教育を受けた人びとの間で、新たな格差が生じてくることになる。

 つまり、一部のエリートと彼らにルサンチマンを抱く一般大衆の格差だ。

 一部のエリートは「ナルシスト化」し、多くの大衆はペシミズムを抱くようになったのだ。

 つまり、

多くの若者が大学に進学する一方で、「大学は出たけれども」という状況がより深刻化し、ペシミズムが広がっている。

 というわけだ。

 そしてエリート支配は、大衆をますます顧みない政策をとっていくことになる。

 自由貿易イデオロギーは、まさにその典型だとトッドはおそらく考えている。

「自由貿易によって国内の賃金が低下し、生活水準が低下し続けているのに、その根本原因たる自由貿易が、政治的論争で議論されていない。このように国内の経済状況に依拠しない自由貿易政策は、エリート層による不平等的な政策であるわけです。」

 だから今こそ保護主義なのだ。

 トッドの主張は明快だ。


 (苫野一徳)

Copyright(C) 2013 TOMANO Ittoku  All rights reserved.