はじめに
当時隆盛をきわめていたヘーゲル的歴史観(目的論的歴史観)を批判し、徹底した実証主義の精神によって歴史を見つめた。
しかし同時に、彼は本書で次のようにもいっている。
「総じて歴史はなんといつでもあらゆる学問のうちでも最も非科学的な学問である、ただ、歴史が多くの知る価値のあるものを伝えるという点では別である。」
どれだけ科学的・実証的たらんとしても、歴史学はどうしても、非科学的・非実証的な部分を多く持つ。しかしそれでも、歴史学は、私たちに何が知るに値するものかを教えることはできるのだ。
ブルクハルトの歴史にかける深い情熱が伝わってくる。
本書は、1868〜73年の間にバーゼル大学で行われた、3回の講義の講義録。ブルクハルト自身の手によるものではなく、甥のエーリが編纂したものだ。
第3回目の講義には、同じく当時バーゼル大学に勤めていたニーチェも聴講していたらしい。
ニーチェがブルクハルトから多大な影響を受けたことはよく知られているが、しかしニーチェ自身は、歴史は生に奉仕すべきなのだと主張し、歴史をそれ自体として大切に考えたブルクハルトとはずいぶん異なっていた。
本書で打ち出されている「進歩」への不信の表明などは、今となっては広く共有された歴史観ではあるが、19世紀当時においては、ほとんどブルクハルトの他に主張する者はなかった。
個人的には全面賛同とはいかない部分も多くあるが、それでもやはり、今なお多くの示唆に富んだ歴史学の名著だと思う。
1.ヘーゲル批判
ブルクハルトの前世代の哲学者ヘーゲルは、歴史を「絶対精神」が己を具現化していくプロセスと見た。つまり歴史には目的があるのだと(ヘーゲル『歴史哲学講義』のページ参照)。
本書でブルクハルトは、こうしたヘーゲルの目的論的歴史観を批判する。
「われわれは、永遠の知恵が目指している目的については明かされていないので、それが何であるかを知らない。世界計画のこの大胆きわまる予見は、間違った前提から出発しているので、誤謬に帰着することになる。」
現代においてはほとんど当たり前になった歴史観ではあるが、歴史の「進歩」が当然のように語られていた当時において、そして、その後ヘーゲル的歴史観を受け継いだマルクス(主義)的歴史観が世界を席巻したことを思い起こせば、ブルクハルトのこの主張は、かなり先駆的なものだったといえるだろう。
そこでブルクハルトは次のように言う。
「われわれは一切の体系的なものを断念する。われわれは「世界史的理念」を求めるのではなく、知覚されたもので足れりとするのであり、また、歴史を横切る横断面を示すが、それもできるだけ沢山の方角からそれを示そうとする。」
徹底した実証主義の精神を、ここから読み取ることができるだろう。
ただし余談だが、私自身は、ヘーゲルのいう「絶対精神」の具現化という目的論的世界観はフィクションとしてしりぞけられるべきではあるが、しかし歴史を人間的「自由」の進展の過程として捉えた彼の洞察は、今なお有効だと考えている(詳しくはヘーゲルのページを参照)。
2.国家、宗教、文化
本書でブルクハルトは、歴史を分析する際の分析視点として、「国家」「宗教」「文化」の3つを挙げる。
①国家
国家については、たとえば、「どのように民族が国民となり国家を形成するのか」といった問いが立てられる。
そしてまた、「国家の暴力がいかに権力となるか」といった問いが立てられる。
その際ブルクハルトは、「権力はそれ自体で悪である」という権力観を何度も主張する。
「個人には認めない利己主義の権利が国家には認められる」のであり、「より弱体の隣国は征服され、併合され、もしくはその他なんらかの方法で従属させられる」からだ。
ただ私の考えでは、これはかなりナイーヴな権力観だ。
権力論には、ホッブズ、ロック、ルソー、ヘーゲルらの伝統があるが、そこで問われてきたのは、私たちが何らかの「統治権力」を必要とする以上、どのような「権力」であれば「正当」といいうるか、という問いだった。
単に権力は「悪」であると決めつけるのではなく、いかにその「正当性」を担保しうるかと問うてきたのだ(ホッブズ『リヴァイアサン』、ロック『統治論』、ルソー『社会契約論』、ヘーゲル『法の哲学』のページ参照)。
その集大成は、ルソーの「一般意志」やヘーゲルの「相互承認」の概念にみられる。要するに、すべての市民の「合意」においてのみ、「権力」はその「正当性」を持ちうるのだという考えだ。
そうした哲学的伝統からみれば、ブルクハルトの権力観は、その暴力性を根拠に「悪」と決めつける、かなりナイーヴなものだと私は思う。
②宗教
宗教について、ブルクハルトはまず次のように言う。
「宗教が徐々に発生していったということはおそらくありえないと思われる。〔中略〕歴史上われわれの知っている宗教は、その創設者もしくは再興者(すなわち重大な危機における指導者)の名を挙げている。」
ここで問われるのは、たとえば、多神教、一神教などの宗教の形態と、それぞれの歴史的プロセスだ。「世界宗教」と「来世宗教」は、敵対者を撲滅しようとしてきたことなどが語られる。そしてまた、これら宗教がいかに国家と結びついてきたかなどが考察される。
③文化
文化は、ここでは特に「言語」「芸術」「哲学」を指す。
これら文化の発展は、アテナイやフィレンツェなどに見られるように、「高次の社交」によってもたらされるものだ。そうブルクハルトは指摘する。
「あのような場所がもたらすのは、尋常ならざるものによる最高の力の覚醒である。「才能が目覚まされた」のではなく、天才が天才を呼び寄せたのである。」
以上、国家、宗教、文化を歴史の分析視点として示したブルクハルトは、続いてこれらの相互関係を見る。
たとえば、キリスト教がいかにローマ帝国と結びつくことで強大化し得たかとか、中世における王権と教皇権の拮抗とか、文化がキリスト教に奉仕した時代のことなどが考察されるが、ここで展開されているのは、現代においてはかなり「常識」的な知見と言っていいだろう。
3.歴史における危機
本書の白眉は、「歴史における危機」についての考察だ。
歴史はその流れの中で、要所要所において大きな「危機」、すなわち転換期を経験する。ローマ帝国の滅亡、宗教改革、フランス革命といった転換期がそれにあたる。
そこでブルクハルトは問う。「危機の連鎖は断ち切ることができるのかどうか、また、どのような危機ならそれができるのか、また、なぜそれができないのか」と。
ローマの場合、その危機を防ぐことはできなかったとブルクハルトは言う。
「ローマ帝国の危機は断ち切ることができなかった。それはこの危機が、人口の少なくなった南方の国々を占有したいという、繁殖力旺盛な若い諸国民にきざした衝動から起こっていたからである。これは一種の生理学上の均衡化であり、この均衡化は部分的には見境なく行なわれたのであった。」
ゲルマン民族の大移動は、避けることができなかったというわけだ。
しかし宗教改革の場合、それは防げたはずだとブルクハルトは主張する。
「宗教改革の場合には、これを阻むために、聖職者階級の改革と、教会財産の適度の削減、それもあくまでも完全に支配階級の意のままにできた程度の削減で十分であったであろう。」
またフランス革命も、ある程度緩和はできたはずだと主張する。そして言う。「結局のところ、人間の内部には大きな周期的変化を求める抑えがたい衝動がひそんでいる」のだと。
だから変化のないことを「幸」だと思うべきではない。そうブルクハルトは言う。人類は、変化を求める衝動をもともと持ってしまっているのだ。
この衝動は、「交通手段」の発達と共に高まっていく。
「危機を起こさせる外見上本質的に見える前提条件は、きわめて発達した交通機関の存在と、異なった事柄を誰もがほとんど同じように思考するということが広範囲にわたって拡まっていることである。」
「時が到り、かつ危機を起こさせる真の材料が出そろうと、そのことは伝染病さながらに、電流の伝わる速度で何百マイルもの距離を越えて伝わり、通常はたがいにほとんど識ることのないじつにさまざまな住民にまで及んでゆく。この報らせは宙を伝わってゆき、そして、重要な一点において住民たちはすべて、たとえ漠然とではあったとしても、突然たがいに了解しあう、「変わらねばならないのだ」と。」
こうした「変化」に、既成権力は必ず対抗しようとする。
「権力はかえってこのような時代にこそ中断ということをいちばん我慢しない。ある一人の人もしくはある党派が疲れてくずおれるか、もしくは破滅すると、ただちに別な人が立ち現れる。」
これがまさに、「歴史における危機」を生む。それはつまり、既成権力とこれに抵抗する変化を求める力との、激しい対立のことなのだ。
この他にも、ブルクハルトは本書において、歴史における「偉大さ」とは何か、とか、「幸と不幸」とは何か、といったテーマを考察している。
そうした視点は、歴史を見る際、今なお私たちに大きな示唆を与えてくれる。
(苫野一徳)
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