及川平治『分団式動的教育法』


はじめに

 デューイキルパトリックモンテッソーリパーカーストなど、世界中に広がったいわゆる「新教育」を、日本において最も早い時期に手がけた先駆者、及川平治。(上記教育理論家・実践家たちについては、デューイ『学校と社会』、キルパトリック『プロジェクト・メソッド』、モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』、パーカースト『ドルトン・プランの教育』のページ等参照)

 本書は、及川の提唱した「分団式動的教育法」の体系が描かれた、理論書にして実践書だ。

 「分団」とは要するにグループのこと。「動的」とは、従来のような静的なカリキュラムや指導法から抜け出して、個々の子どもたちの生き生きした活動を中心に据えた授業のあり方を表した言葉だ。

 新教育といえば、学びの個別化協同化プロジェクト化を中心とした学びの方法を提唱した教育として知られているが、まだその土壌が十分整っていなかった日本において、及川は、個別学習と一斉授業の、いわば折衷案としての「分団式」を提唱した。

 以下、当時としてはきわめて画期的だった、及川の教育理論を見ていくことにしよう。


1.三大主張

 本書の最初に、及川は自らの教育論の「三大主張」を次のように述べる。


1.静的教育を改めて動的(機能的)教育となすべきことの主張
2.教育の当体(児童)に存する事実を重んずべきことの主張
3.真理そのものを与うるよりも真理の探究法を授くべきことの主張

 あえて説明を要しないだろう。


2.分団

 及川がいう「分団」とはいったい何か。


「分団式教育法とは、1.児童の能力に応じて題材を統制すべきそれぞれの地位に据え
2.児童の能力に応じてそれぞれ適当に努力せしめ、
3.児童の能力に応じてそれぞれ適切に輔導する、をいうのである。」

 これは要するに、今日でいうところの「能力別編成」に近いもののように思われる。


 ただここで重要なのは、この「分団」は「可動的」である必要があるということだ。及川はいう。


「余が学級教育の本体として主張しまするのは可動分団式教育である。」


 グループを固定せず、子どもたちの成長に応じて、文字通り動的にグループを編成し続けるのだ。


 ちなみに、実は今日では、「能力別」あるいは「習熟度別」といわれるクラス編制は、(あくまでも一般的にはだが、)その恩恵を受けるのは上位クラスのさらにごく一部に過ぎず、多くの子どもたちにとっては、さほど効果的ではない、むしろ逆効果であることも多いことが明らかにされている。


 さらに、習熟度別指導は、子どもたちの学力格差をより拡大する問題もあると指摘されている。(以上の点については、佐藤学『習熟度別指導の何が問題か』に詳しい。)




 及川自身も、この学力格差の拡大については意識していたようだ。しかしその上でいう。

分団式は児童の優劣の間隔を失わしむるものではなくて、むしろ優劣の差を大ならしむる傾きのあるものである。しかしながら優等、普通遅滞児の学力操行の水準を高むるは確かであるすなわち、個々の児童は大いに学力操行が進んでくるけれども、優劣のはやはり存するのである分団式を採用すれば児童の能力が均等になると思うは誤解である。

 このあたり、現代の観点から見てどう及川を評価するか、意見の分かれるところといえそうだ。

 しかしいずれにせよ、及川が当時の新しい教育方法の先駆者であったことは間違いない。彼以降、時代の後押しもあってさまざまな教育方法が登場するが、及川の時代、そうした教育を可能にする土壌は、ほとんど整っていなかったのだ。及川はいう。

各児の必要に応じたる個別教育は事実不可能であるまた個別教育をもって、学級教育にまさるものと速断してはならぬさりとて現行学級教育をもって正式教育とすることもできない余はここにおいて児童木位の学級教育を主張したいと思う分団式動的教育は児本位の教育である。」


3.能力不同

 及川の「分団式動的教育法」には、子どもたちの「能力不同」という事実認識がある。

 その際及川は、子どもを優秀児中庸児異常児に分け、さらに異常児を、やや低弱なれども被陶冶性あり。普通の小学校教育を施すべきもの(第一種異常児)」と、被陶冶のはなはだ少なきかまたは全くこれなきもの、特殊学校または白痴院に収容すべきもの(第二種異常児)」とに区別する。

 そしていう。

「第一種異常児は普通の学級教育に個別教育を加味すれば救済ができるのでありまするし、二種異常児は学級を異に全く個別教育によらなければ救済ができぬものでありまする。

 このあたり、現代的にはやや問題ある表現も多いようには思われるが、わたしたちは、これはあくまでも当時の一般的なものの見方だったということを理解しておく必要がある。

 しかしいずれにせよ、及川が、知的障害のある子どもたちも皆、個別に十分な学習の機会を与えられなければならないと考えていた点は、今なお注目に値するだろうとわたしは思う。


4.落第制批判

 それゆえ及川は、当時の落第制を次のように批判する。

「現行教育のごとく、一斉教育をもって本体の教育と誤解し、さかんに遅滞児を製造しておいて、平素その救済法を講ぜず、学年末に至ってにわかに落第の宣告をなすがごときははなはだ不親切なやり方である純理より言えば、教育には落第度を設くべきものではないのである

 一斉教育をすれば、それについていけない子どもが続出するのは当然のことだ。にもかかわらず、今の教育は、そうした子どもたちを量産し、なお一斉教育を受けさせ続けている。

 そうした子どもたちに必要なのは、十分な個別教育の機会であるはずだ。

 そう及川は主張した。日本における新教育の揺籃期においては、やはり先見の明ある、ラディカルな主張だったといえるだろう。

(苫野一徳)

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木下竹次『学習原論』


はじめに

 奈良女子高等師範学校の教授、また、同付属高等女学校・附属小学校の教師を務めた木下竹次。いわゆる「大正自由教育」を代表する、教育学者・教育実践家の一人だ。

 その人気と影響力において、今なお教育界においてひときわ光彩を放ち続けている存在だといっていい。

 1923年に刊行された本書は、その後の「学習ブーム」の火付け役となった。

 教育とは、決められたカリキュラムを決められた通りに子どもたちの頭にインプットする行為ではなく、あくまでも子どもたち自身の「学習」を中心に、これをサポートしガイドしていくものでなければならない。当時の多くの「新教育」の理論家・実践家たちとともに、木下もそう訴えた。

 木下教育学理論の根幹は、学習の基礎を「自律的学習」と捉え、学習は、「独自学習―相互学習―独自学習」という順序で行われるものとしたところにある。学習の原理は、「自由」「協同」にある。そう木下は主張する

 さらに木下は、「合科学習」という新たな学習形態を提唱し、分化された教科を切れ切れに学ぶのではなく、教科横断的なカリキュラムの重要性を訴えた。これは、今日における「総合的な学習の時間」のいわば原型だといっていい。


1.「学習」を中心に

「私は学習の名称をもちいる。時には自律的学習というが、その自律的たる形容詞も時には誤解の種子となることがあるから用いない方がよいかとも考える。ただ教育といえば教師の側面から眺めたように思われるから、児童の方から眺めた学習という名称を用いるのである。」

 先述したように、木下は「学習」を教育の中心概念と捉えた。そして学習が備えているべき4要件を、次のように主張する。


1.学習を発動的にする。
2.学習を創作的にする。
3.学習を努力的にする。
4.学習を歓喜的にする。


 1の「発動的学習」は、学習における「自発性」を重視しようという主張だ。自らの興味・関心に応じて学びとったものは、イヤイヤ「やらされた」学びよりもはるかに根づくものであるからだ。

「発動的に学習して自ら修得し自ら徹底したことはたとい分量は少なくともまた内容の性質は劣って居ても各自の生活に役立つであろう。」

 2の「創作的学習」は、学習における子どもたちの「創造性」を重視しようという主張。木下はいう。

「創作的学習は自由を一大要件とする。外界の権威あるいは因襲的法則をもって学習者の自由を拘束して自作自為を妨げては創作的学習はできない。方法の自由がなくて目的の自由に到達することは困難である」

 創造的であるためには、その探究の方法は自由でなければならない。しかしそれは、単に子どもたちのわがまま放題、やりたい放題を認めることを意味しない。本当に自発的かつ創造的に学ぶ時、子どもたちは、自ら自らを律しようとするものなのだ。

「自由に学習させるのは規範を無視することではない。学習の目的を遂げるために適切な規範を自ら発見し自ら追及し自己の規範をもって自己を規正するようにしようというのである。かくして始めて熱心に学習の目的を追求し独創的に方法を探究し実行する。」

 3の「努力的学習」と4の「歓喜的学習」は、努力することそれ自体を楽しめるような学びを重視しようという主張だ。

「努力のあるところ必ず多少の苦痛はある。しかし真剣に努力するものはその間に快感を覚えていくことができる。この苦痛に快感を味わえる人が永続的に努力して歩々に能力を発揮する。苦痛を避けることを主としては努力は永続するものではない。実は、努力者は苦痛をなんとも思わないで喜んで苦痛と戦っていく。真の興趣は努力にのみともなっていくというてよろしい。」


2.合科学習

 以上のように、木下は子どもたちの自律的学習と相互学習を中心に学びをつくり上げていくことを訴え実践したが、その際編成されたカリキュラムは、国語、理科、算数……といった、あらかじめ分化され決められたカリキュラムではなく、「合科」的なカリキュラムである。

 デューイらの影響を色濃く受けた、経験主義カリキュラムだ(デューイ『民主主義と教育』『学校と社会』のページ等参照)。

 木下はいう。

「分科主義にも一応の理由はあるが、人間生活をあまりに分類的に構成的に取り扱うては、複雑微妙な人生の向上をはかり文化の創造を進めていくことは困難である。」

 このような考えにしたがって、木下は、生徒の学びを分断してしまう時間割の撤廃なども訴え、実践した。子どもたちの「学習」を中心に考えるなら、これはきわめて効率の悪い仕組みだからだ。

 今なお時間割は多くの学校で設けられているが、すでに100年も前から、「新教育」の理論家・実践家たちは、時間割を撤廃し、一人ひとりの子どもたちの「学び」に焦点を当てた実践を行っていたのだ(パーカースト『ドルトン・プランの教育』等参照)。


3.教師の役割

 以上のように、子どもたちの「学習」を中心に考えた場合、教師の役割もまた、従来の「教え込み」からは一変することになる。

 木下はいう。

「多くの教師はまず教えねばだめだと思うている。まず教えてもだめなものがあるのに、教えないで児童生徒をして工夫創作し発けんさせようなどとは不可能だと思うている。」

 何でもかんでも教えてやろうとするのではなく、まず子どもたちに自ら学ばせてみようじゃないか。木下はそう主張する。

 そのためには、何でもかんでも教師が抱え込むことから抜け出さなければならない。

教師が職務上責任をつくすのは非常によろしいが、なにごとも自分に抱き込んで自分一人で児童生徒を教授し訓練しようとするのがよろしくない。かくして実際においては自分一人で万般の教育をすることはできないのである。これを無理にしようとするから学級教授の痼疾に陥ったのだ。また学習者を独自に学習させて個別に指導することができない。したがって学習者をして各個性に適応した自己建設をさせることができないのである。

 今なおきわめて示唆に富む、すぐれた洞察だろうとわたしは思う。

 教師の「教える力」に依存するのではない。生徒の「学ぶ力」に寄り添い、支え、導くこと。教師に求められるのは、そのような資質なのだと木下はいうわけだ。

 したがって、いわゆる教師の「発問」についても、木下は次のように指摘する。


「従来の教育においては発問するものは主として教師で児童生徒は問わるるままに答えたものである。教師の発問は数師の予定に従い秩序整然として系統立てている。〔中略〕の種の問答は注入的講演式のかわりに時は非常に珍重されたものであが、発動的創作的学習させるのには決して最良の方法でない。かつその結果も案外有効でなかった。それでは真の人間はできない。独創的人物などは容易にでてこない。元来疑問は教師が提出するのは主でなくて学習者が提出することを主とせねばならぬ。教師は最善の努力をして学習者に優秀なる疑問を提出させることに突進せねばならぬ。教師の発問は主として学習者の優秀なる疑問を誘発するために使用したい。児童生徒の自主的学習の道を開くために利用したい。それにしても教師はあまりたくさん疑問を出さぬがよろしい。

 ふつう「発問」というのは、分からないから訊ねるものだ。しかし学校では、教師が答えを知っていて、まるで子どもたちを試すかのように「発問」する。「この問題分かるか?ん?」といった具合に。

 その「試してくる」態度が、わたしもまた、個人的には昔からあまり好きではなかった。

 もちろん、そうした発問の仕方が「いい」「有意義」な場合も多いだろう。しかし子どもたちを「試し」、そのことでどこか萎縮させてしまうような発問よりは、木下がいうような、まさに子どもたち自身が生き生きと問いを発せられるような、そのような教育の方がわたしにも意義深く思われる。

 最後に、印象的な次の言葉も引用しておきたい。

「世に『お授け児』は偉くなるといわれている。我が子ながらも尊い神仏の『お授け児』と思えばもっと純真な気分でその児に対することができる。これが子どもに影響してその子どもは純真な偉い子どもになるのであろう。なにも神秘なことはない。」


(苫野一徳)

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パーカースト『ドルトン・プランの教育』


はじめに

 デューイモンテッソーリの教育理論、また思想的にはエマソンらの思想から大きな影響を受け、1920年、パーカースト女史は、郷里マサチューセッツ州の小さな町ドルトン(Dalton)の中学校において、「ドルトン・プラン」の教育を実施した(デューイ『民主主義と教育』、モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』、エマソン『エマソン論文集』のページ等参照)。

 伝統的なつめ込み授業を廃し、子どもたちの興味・関心や自主性を重んじることを旨とした、いわゆる「新教育運動」の、有名な実践の1つである。

 特にデューイの教育実践や思想を支柱として、世界的に広がったこの「新教育運動」は、日本においても、「大正自由教育運動」として大きく花開くことになる。パーカーストは何度も来日し、当時の新教育の担い手たちを大きく勇気づけた。

 しかしその後、1920年代にいたって、日本におけるドルトン・プラン熱は急速に薄れていってしまうことになる。

 「自由」「協同」を二大原理としたこの教育プランは、それを入念に支えられる教師と、そして子どもたちがいつでもどこでも自由に使える図書資料などが必要だった。当時の日本においては、この人的・物的資源双方において、ドルトン・プランを十分活用できる土壌が整っていなかったのだ。

 さらに、大正自由教育への弾圧という、時代背景も忘れてはならない。文部省は、教師の自由の弾圧を断行、有名な川井訓導事件などが起こった時期でもあった。

 しかし今日、ドルトン・プランを始めとする当時のさまざまな新教育のあり方・方法は、改めて大きな注目を集め始めている。学びの個別化・協同化・プロジェクト化を中心とするこれら教育メソッド/プランは、まさに今日においてこそ、大いに求められているものといえるだろう。

 ある意味では時代に先駆けすぎていたこれらすぐれた実践・理論を、今こそすくい上げ活かしていく時期が来ているはずだとわたしは思う。


1.自由と協同の二原理


「ドルトン実験室プランの第一の原理は自由である。学問的な側面から考えても、また教義的な側面から考えても、生徒が勉強に没頭しているときは、その教科が何であっても、決して妨害しないで、自由にどこまでも継続させるようにしなければならない。なぜならば、興味がわくと精神はいっそう鋭敏になり、いっそう敏活になって、その研究の途中に起ってくるどんな難問題でも克服することができるのだから。」

「ドルトン実験室プランの第二の原理は共働――さらに適切にいい直すなら、集団生活の交流である。ジョン・デューイ博士の『民主主義と教育』には、この考えが見事にあきらかにされている。」

 自由協同。これがドルトン・プランの二大原理だ。

 ドルトン・プランに限らず、これは、デューイやキルパトリックなど、いわゆる新教育の担い手たちが最も重視したものだった。

 子どもたちに勉強を無理やり「やらせる」のではなく、自ら心を込めて学びに集中できる場を作る。それが、最も効果的な学びのあり方だ。彼らはそう訴えた。

 また、ドルトン・プランは特に「個別学習」に力を入れる教育プランだが、デューイからの影響を受けて、「協同」もまた十分に組み込まれている。教師のサポートのもと、自ら学習計画を立て学んでいく過程で、子どもたちは、時に友人たちと頭をつきあわせて課題に挑んでいくことが奨励されるのだ。


2.アサインメント

 ドルトン・プランでは、まず1年分の学習計画を、子どもたちが教師のサポートのもと自ら立てる。そしてひと月ごとに、アサインメントと呼ばれる、自らが自らに課した課題をこなしていくという方法がとられる。いわば徹底した自学自習の方法だ。

 こうした学習は、教師と生徒とのいわば「契約」として進められていく。したがって、(低学年の子どもについては、)次のような契約書にサインするということまで行う。

『第◯学年生の私は、第◯月割当の仕事をすることを契約します。◯月◯日◯学年姓名』

 何となくやりすぎの感もなくはないが(笑)、パーカーストはこのようなやり方で、子どもたちの自主性と責任を育もうと考えたのだ。

生徒に仕事を請負いの形で与えて、その遂行に対して責任を感ずるようにすることによって、その仕事の尊厳を自覚させ、目的を明確に意識せしめることができる。われわれは彼がそれを遂行することを願っており、またそれを遂行する力があることを信じていることを彼に知らしめることによって、この責任感をいっそう強くすることができる。」


3.学級制とカリキュラムの存続と、時間割の廃止

 新教育も、ラディカルなものになると、学年学級制やお仕着せのカリキュラムの廃止などを実行しているが、ドルトン・プランに関していうと、そのあたりはやや保守的だ。

このプランを実施するには、学校の単位になっている学年や学級、またはカリキュラムすら廃止しなければならないとか、あるいは廃止することが望ましい、などとはいわない。ドルトン実験室プランは、これらのものを大事にする。」

 しかしその一方で、時間割については、これはぜひとも廃止しなければならないとパーカーストはいう。

「時間割表は大てい教師の関心によって編成されたもので、生徒の興味によってできたものではない。生徒には時間表ほど呪わしいものはない。これを廃止するのは、実際に生徒を解放する第一歩である。」

 わたしたちの多くは、1時間目に数学、2時間目に国語、3時間目に英語……といった、押しつけられた「時間割」に慣れ、これを当たり前のことと考えている。

 しかし考えてみれば、これほどに効率性の悪いことはない。いつ何をどのように学ぶかを決められ、その進度も決められる。機械的な細切れの時間割など、非効率この上ない。

 こうした上からのお仕着せの時間割を廃止し、子どもたちが自分のペースで、自分に合った方法で、教師のサポートを得ながら自学自習を続けられる教育プラン。それがドルトン・プランの、時代に先駆けるアイデアだったのだ。


(苫野一徳)

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