パーカースト『ドルトン・プランの教育』


はじめに

 デューイモンテッソーリの教育理論、また思想的にはエマソンらの思想から大きな影響を受け、1920年、パーカースト女史は、郷里マサチューセッツ州の小さな町ドルトン(Dalton)の中学校において、「ドルトン・プラン」の教育を実施した(デューイ『民主主義と教育』、モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』、エマソン『エマソン論文集』のページ等参照)。

 伝統的なつめ込み授業を廃し、子どもたちの興味・関心や自主性を重んじることを旨とした、いわゆる「新教育運動」の、有名な実践の1つである。

 特にデューイの教育実践や思想を支柱として、世界的に広がったこの「新教育運動」は、日本においても、「大正自由教育運動」として大きく花開くことになる。パーカーストは何度も来日し、当時の新教育の担い手たちを大きく勇気づけた。

 しかしその後、1920年代にいたって、日本におけるドルトン・プラン熱は急速に薄れていってしまうことになる。

 「自由」「協同」を二大原理としたこの教育プランは、それを入念に支えられる教師と、そして子どもたちがいつでもどこでも自由に使える図書資料などが必要だった。当時の日本においては、この人的・物的資源双方において、ドルトン・プランを十分活用できる土壌が整っていなかったのだ。

 さらに、大正自由教育への弾圧という、時代背景も忘れてはならない。文部省は、教師の自由の弾圧を断行、有名な川井訓導事件などが起こった時期でもあった。

 しかし今日、ドルトン・プランを始めとする当時のさまざまな新教育のあり方・方法は、改めて大きな注目を集め始めている。学びの個別化・協同化・プロジェクト化を中心とするこれら教育メソッド/プランは、まさに今日においてこそ、大いに求められているものといえるだろう。

 ある意味では時代に先駆けすぎていたこれらすぐれた実践・理論を、今こそすくい上げ活かしていく時期が来ているはずだとわたしは思う。


1.自由と協同の二原理


「ドルトン実験室プランの第一の原理は自由である。学問的な側面から考えても、また教義的な側面から考えても、生徒が勉強に没頭しているときは、その教科が何であっても、決して妨害しないで、自由にどこまでも継続させるようにしなければならない。なぜならば、興味がわくと精神はいっそう鋭敏になり、いっそう敏活になって、その研究の途中に起ってくるどんな難問題でも克服することができるのだから。」

「ドルトン実験室プランの第二の原理は共働――さらに適切にいい直すなら、集団生活の交流である。ジョン・デューイ博士の『民主主義と教育』には、この考えが見事にあきらかにされている。」

 自由協同。これがドルトン・プランの二大原理だ。

 ドルトン・プランに限らず、これは、デューイやキルパトリックなど、いわゆる新教育の担い手たちが最も重視したものだった。

 子どもたちに勉強を無理やり「やらせる」のではなく、自ら心を込めて学びに集中できる場を作る。それが、最も効果的な学びのあり方だ。彼らはそう訴えた。

 また、ドルトン・プランは特に「個別学習」に力を入れる教育プランだが、デューイからの影響を受けて、「協同」もまた十分に組み込まれている。教師のサポートのもと、自ら学習計画を立て学んでいく過程で、子どもたちは、時に友人たちと頭をつきあわせて課題に挑んでいくことが奨励されるのだ。


2.アサインメント

 ドルトン・プランでは、まず1年分の学習計画を、子どもたちが教師のサポートのもと自ら立てる。そしてひと月ごとに、アサインメントと呼ばれる、自らが自らに課した課題をこなしていくという方法がとられる。いわば徹底した自学自習の方法だ。

 こうした学習は、教師と生徒とのいわば「契約」として進められていく。したがって、(低学年の子どもについては、)次のような契約書にサインするということまで行う。

『第◯学年生の私は、第◯月割当の仕事をすることを契約します。◯月◯日◯学年姓名』

 何となくやりすぎの感もなくはないが(笑)、パーカーストはこのようなやり方で、子どもたちの自主性と責任を育もうと考えたのだ。

生徒に仕事を請負いの形で与えて、その遂行に対して責任を感ずるようにすることによって、その仕事の尊厳を自覚させ、目的を明確に意識せしめることができる。われわれは彼がそれを遂行することを願っており、またそれを遂行する力があることを信じていることを彼に知らしめることによって、この責任感をいっそう強くすることができる。」


3.学級制とカリキュラムの存続と、時間割の廃止

 新教育も、ラディカルなものになると、学年学級制やお仕着せのカリキュラムの廃止などを実行しているが、ドルトン・プランに関していうと、そのあたりはやや保守的だ。

このプランを実施するには、学校の単位になっている学年や学級、またはカリキュラムすら廃止しなければならないとか、あるいは廃止することが望ましい、などとはいわない。ドルトン実験室プランは、これらのものを大事にする。」

 しかしその一方で、時間割については、これはぜひとも廃止しなければならないとパーカーストはいう。

「時間割表は大てい教師の関心によって編成されたもので、生徒の興味によってできたものではない。生徒には時間表ほど呪わしいものはない。これを廃止するのは、実際に生徒を解放する第一歩である。」

 わたしたちの多くは、1時間目に数学、2時間目に国語、3時間目に英語……といった、押しつけられた「時間割」に慣れ、これを当たり前のことと考えている。

 しかし考えてみれば、これほどに効率性の悪いことはない。いつ何をどのように学ぶかを決められ、その進度も決められる。機械的な細切れの時間割など、非効率この上ない。

 こうした上からのお仕着せの時間割を廃止し、子どもたちが自分のペースで、自分に合った方法で、教師のサポートを得ながら自学自習を続けられる教育プラン。それがドルトン・プランの、時代に先駆けるアイデアだったのだ。


(苫野一徳)

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