バタイユ『内的体験』


はじめに

 1943年、第二次大戦中に刊行された、バタイユの代表作の1つ。

 この後に刊行された『有罪者』(1944)、『ニーチェについて』(1945)と合わせて、いわゆる「無神学大全」3部作の1つとして知られている(『有罪者』『ニーチェについて』のページ参照)。

 「内的体験」とは、一種の神秘体験・恍惚体験のこと。

 あえて言葉にするなら、コントロール不可能な、みなぎる力の体験、偶然に身を任せた不安の体験、「私」が「私」ではなくなり、ただ何らかの力動として炸裂する体験、などといえるだろうか。

 バタイユはこの内的体験をいい表すのに、「非−知」「恍惚」「交流(コミュニカシオン)」「幸運」といったキーワードを多用する。

 もっともこの内的体験は、理性や知性を超えた体験であるがゆえに、理性的・知性的な言葉では本来理解することも表現することもできないものである。

 そこで彼は、この体験を、できるだけ理性的な言葉に頼らずに「口伝」しようとする。そのため本書は、論理展開を追いながら読み進めるようなものではなく、むしろ味わうべきもの、より正確にいうと、バタイユの内的体験を追体験すべきものとなっている。

 バタイユはいう。

こうした体験は、別に筆舌に尽くしがたいという筋のものではない。だが私はこの体験をそもそも体験したことのない者に向かって伝えようというのである。この口伝は容易なことではない。    

 
 私自身は、戦後に書かれた『呪われた部分』『エロティシズム』が第一級の作品であるのに比べると、この「無神学大全」諸著作は、あまり評価できるものではないと考えている。

 反知性主義、反理性主義、反哲学の態度を標榜し、理性では捉えられない世界を描き出そうとするバタイユの姿勢は、共感する部分もあるが、結局のところ「反(アンチ)」にとどまっている感を拭えない。

 と、しかし実をいうと、私もまた、もちろんバタイユとは比べるべくもないが、かつて彼のような「内的体験」を強烈に味わったことがある。

 詳しくは近日刊行の哲学エッセイ『子どもの頃から哲学者』(大和書房)に書いたが、17歳の時から7〜8年間、私は激しい躁鬱に見舞われ、その間に、何度かバタイユ的な「発狂」に見舞われたこともあった。

 バタイユのキーワードの1つに「哄笑」というのがあるが、実は私もまた、この時期は毎年のように、哄笑と号泣とをほとんど止むことなく、丸2日間繰り返すといったことがあった。

 その時、私には自分の心の姿がありありと映像になって見えた。ミクロコスモスを通して、マクロコスモスに到達したと確信した。バタイユのいう、「深淵」の世界に触れたと思った。

 さらに、20代の頃に見舞われた激しい躁状態においては、「人類愛」というある強烈な啓示が、やはりありありとしたイメージを伴って降りてきた。そしてその恍惚状態のうちに、いつしか「人類愛教」という宗教が開かれ、2年間“教祖”をやってしまうことにもなった。

 この「内的体験」は、しかしその後、哲学に出会って砕け散ることになった。

 「内的体験」は、私にとって、確かに何ものにも代え難い恍惚だった。しかしそれは、だれもが味わうべきものでも、普遍的な体験というわけでもない(当時の私は、これを「真理」と信じて疑わなかったのだが)。

 一方の哲学は、自分にしか通用しないことを秘伝のように誇るものではなく、だれが考えても「なるほど確かにそうだ」といいうるほど、考え抜かれた思考の道筋を示すものである。

 それはつまり、「内的体験」を仰々しい「秘伝」的な「口伝」の形で語るのは、哲学の観点からいえば独りよがりな独白にすぎないということだ。

 圧倒的な恍惚、圧倒的な脱自の体験を、私は理性的に見つめ直した。そして激しい自己崩壊を経た末に、「内的体験」の領域から「哲学」の領域へと、歩を進める必要があると考えた。

 恍惚の世界にただ身を委ねるのではなく、自分の考えが本当に「普遍的」な考えたりうるかと問い合うこと。少なくとも私には、そのような哲学が必要だった。


 その偉大さにおいてはもちろん比べるべくもないが、バタイユもまた、同じような道をたどったように思われる。

 「無神学大全」の頃のバタイユは、ニーチェからの大きな影響のもと、理性主義的な西欧文明(哲学)に「価値の転倒」をもたらしてやろうという野心を抱いていた(この野心自体は、生涯変わらなかった)。

 しかし、ニーチェのそれがとことん追いつめて(哲学的に)考え抜かれたものであったのに対して(たとえばニーチェ『道徳の系譜』『ツァラトゥストラ』のページなど参照)、バタイユの戦略は、いってしまえば「知」に「非−知」を、「理性」に「恍惚」を対置するにすぎないものだった。

 彼がどれだけ深遠な言葉を振り回そうとも、私にはそのように思われる。

 「言語」と「思考」は、どうしても切り離すことができない。それゆえ、理性的な言語から理性を排除するためには、結局のところ、ただ恍惚、恍惚、というほかなくなってしまうのだ。

 理性を排除しようとするあまり、本書には晦渋なレトリックが無数に登場する。

 個人的には、そのどことなく「無理をした」感には、時に気恥ずかしさをさえ感じてしまう。

 おそらくバタイユも、後にそうした「気恥ずかしさ」を感じるようになったのだろう。1953年になって、こんなことをいっている。

「存在の可能性を汲みつくそうとしたこの書物を前にして、私はあまりいい気持はしていない。真底気に入らぬというわけではない。しかしこの本の遅鈍さ晦渋さが私には嫌なのである。 」   

 しかし戦後、バタイユはこうしたスタイルを改め、「非−知」の世界を、何とか理性的言語で描き出そうとするようになる。

 その戦略は、見事に成功した。バタイユは、これまでほとんどの哲学者が十分には考えてこられなかったテーマを、天才的な本質洞察能力で言葉にしていった。『エロティシズム』や『呪われた部分』は、その天才がいかんなく発揮された名著である。


1.体験はそれ自身権威である

 本書の最初の方で、バタイユは、友人のモーリス・ブランショからいわれた次の言葉を紹介する。

友人のひとりが次のような原理を簡明に示してくれた。つまり、体験はそれ自身権威である(ただしこの権威はおのれの罪を償うのだ)と。    

 内的体験・神秘的体験は、それ自体として権威であって、これを理性的に理解しようとした瞬間、その権威を失ってしまう。

 そこでバタイユは、以下、彼の内的体験を、本来は土台不可能であるには違いないのだが、できるだけ自身の体験に内在的に描き出していく。

知性の発展は生そのものの枯渇をもたらした。そしてそのお返しとして生は知性を狭小なものとした。この無能力的状態から私が脱出できるのは、ただ私が、「内的体験はそれ自身ひとつの権威だという原理を表明するときのみである。    

「論理的に証明できるものではないのである。体験を生きなければならない。


2.「非−知」と哲学の溶解

 内的体験の世界は、理性によって知られるような世界ではない。それは「非−知」の世界である。

 ここにおいては、知るもの(主体)と知られるもの(客体)といった認識行為は消滅している。

最後に体験は客体と主体との融合を達成する。このとき、主体は非知、客体は未知のもの、ということになる。    

 それはつまり、内的体験においては、理性的な哲学の出る幕などないということだ。

 前にいったように、バタイユは、狭隘な知性主義に叛旗を翻した数少ない西洋思想家の1人だった。彼にいわせれば、哲学など、「非−知」の世界には逆立ちしても到達できない矮小な言語ゲームにすぎない。

 それゆえ彼は次のようにいう。

「こうしたことが可能事の一極限として達成されると、いうところの哲学なるものが吸収されつくしてしまうのは当然だし、科学哲学というあの認識の整合性への単なる試みから分離されてしまう以上、本来の哲学が溶解するに至るのも当然のことであろう。 」   


3.恍惚のための演劇化

 では、私たちはいったいどのように内的体験に達することができるのか。

 バタイユはまず次のようにいう。

恍惚または法悦の状態に到達するには、人間存在一般を演劇化するほかはないのだ。

 ここで意識されているのは、たとえば「供犠」のような儀式である。内的体験に没入するために、私たちは何らかの「演劇化」を必要とする。そしてこのことが、私たちに「知的操作の停止」をもたらしてくれるのだ。

精神が裸形にされるのは、「いっさいの知的操作の内奥での停止」による。    

認識するのでは充分ではない。それはまだ精神をのみ作動させるにすぎない。認識が心情(なかば盲た内奥の心の動き)のなかに起こるようにしなければならない。それはもはや哲学ではない。供犠(交流)だ。


4.笑い

 バタイユの内的体験に欠かせないもの、それは「笑い」だった。

私は神のように笑っていた。〔中略〕かつてどこの誰も笑ったことのない笑いを私は笑い、いっさいの事物の底の底が口を開け、裸形にされ、私はまるで死人のようであった。    

「この笑いは啓示だったのだ。それは諸事物の底を開いてくれる笑いだった。」

 深淵に触れた時、人は高らかに笑うほかなくなってしまうのだ。

 この「笑い」の重要性に気づかせてくれたのは、文字通り『笑い』という著作を持つ哲学者、ベルクソンだった。

 ただしバタイユは、ベルクソンをとことんバカにしきっていた。彼はこんなことを書いている。

「私はそのころロンドンにいて(一九二〇年だった)、ベルクソンと食事を共にせねばならぬことになった。ベルクソンのものを私はそのころ一冊も読んではいなかった。〔中略〕『笑いの研究』を図書館から借り出してみた。(ベルクソンの本のなかではいちばん短いものだ。)読んでみて私はいらいらした。所説は舌足らずに思われた。(その上、ベルクソンの人柄に私は落胆したものだった。この小心な小男が哲学者とは!)だが、笑いの問題、笑いの久しく隠蔽されたままだった意味は、そのとき以来、私にしてみれば要ともなる問題であった。」


5.ヘーゲルの評価と批判

 バタイユが打ち倒すべき「理性的哲学」、その権化は、近代哲学の完成者ともいわれるヘーゲルだった。

 このヘーゲルに、バタイユは愛憎半ばする感情を抱いていたようだ。

 というのも、バタイユによれば、ヘーゲルもまた、彼と同じように「非−知」の深淵へと到達した人であったからだ。

 しかしヘーゲルは、その深淵に耐えられず、理性世界という「非−知」とは真逆の世界の「体系」構築へと向かってしまった。

「私の考えではヘーゲルは極点に触れたのである。彼はまだ若く、自分が発狂するかもしれぬと考えた。私はヘーゲルが逃避するために体系を練りあげたのだとさえ考えている。〔中略〕最後にヘーゲルは満足に達し、極点に背を向けた。彼のなかで嘆願は死んだのである。」

「彼はたしかに苛立たしいお追従屋の調子で語ったが、年老いてからの彼の肖像には、疲労困憊が、事象の底にまで降りきった恐怖――あることの恐怖が、読み取れるように思う。体系が完結したとき二年間にわたってヘーゲルは発狂するのではなかと考えた。おそらく彼は、悪を受容したこと――彼の体系が正当化もし、必然のものともしたあの悪を受容したこと――に恐怖を抱いたのだ。あるいは、おそらく、絶対知に到達しという確信歴史の完了――存在空虚なる単調さへの移行に――結びつけて、ヘーゲルは深意味で死者とおの見た。」


6.滑り落ち

 完全なる「恍惚」は、ある意味では「死」によってのみ完成される。


人間をその空虚な孤絶状態から投げ出し、無際限の運動に混ぜ合わすのは――人間はこの運動を介して波のように互いにどよめきをあげつつ殺到し合い、互いに交流し合う――それは死以外のものではありえないだろう。

 しかし私たちは、死のギリギリの淵において、それを得ることもまた求めるものだ。

だがこの意識はまた、それらの襞が持続することをも求めるのだ。波の頂上での泡立ちとなった意識は、この絶え間のない滑り落ちを求める。」

 こうして、「滑り落ち」が恍惚体験(内的体験)の1つのキーワードとなる。


滑り落ちの原理を――交流を司る法則として――表現したとき、私は底にまで達したと考えた。


私は、存在とは交流あるとを――生の、存在者のいっさいの表象はそして一般的いえばものかの表象は、その交流とう一点から出しつ見直べきだということを、確信したのだった。」

 この体験は、激しいエロティシズムの体験によっても得られるものだ。後の名著『エロティシズム』には、そのことが克明に描かれている(バタイユ『エロティシズム』のページ参照)。

 本書でも、彼は次のようにいっている。

「エロティスムの淵は私たちのなかにきわめて深く開かれていて――エロティスムにその形態と熱狂とを借りていないような天上的な脱線はひとつとしてありはしないほどだ。私たちのうちのいったい誰が、神秘の王国の扉を押し開けようと夢見ないだろう。誰が「死なずに死ぬこと」を想像しないだろう。おのれを使い果たし、愛によって破滅することを想像しないだろう。    

 1953年の「追伸」において、バタイユは次のようにいう。

「もし思考の歴史のなかに私の座るべき席がもらえるとすれば、それはたぶん私が、人間の生のなかに「推論的現実の消滅」という効果を弁別してみせたこと、そしてこの効果の記述から一筋の消滅してゆく光を引き出したということによるのであろう。」    

 この言葉は、現実になった。私はそう思う。バタイユはその後半生において、彼いうところの「推論的現実の消滅」を、「理性的」な言葉で見事に描き出すことに成功したのだ。


(苫野一徳)

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バタイユ『宗教の理論』


はじめに


 比較的短い作品ながら、バタイユ思想のエッセンスが、本書にはぎゅっと詰まっている。名著『エロティシズム』と並んで、バタイユ入門書としても最適だろう。

 本書が執筆されたのは、1948年ごろのこと。しかし発表されたのは、バタイユの死後、1974年のことだった。

 宗教の本質は何か?それはどのように展開し、そしてどのようにいわば低迷してしまったのか?その未来は?

 バタイユは本書で、これらの問いにきわめて独創的な、しかし説得力のある答えを与えていく。


第1部 基本的資料

 第1部では、いわば宗教誕生のプロセスが、バタイユ独自の視点から描かれる。

 まず彼が描き出すのは、動物の世界だ。


1.動物の内在性

 バタイユはいう。


全て動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している。
 
 動物は、人間のように自分自身を対象化して生きることができない。つまり、自分は何者かとか、目の前のこれは一体何かとか、自分はなぜ生きるのかとかいったことを考えることがない。

 つまり動物は、いわばただ本能のままに、食べ、排泄し、交尾をし、死んでいくのだ。

 これをバタイユは、動物の「内在性」という。 

 この動物の世界を、わたしたちは正確にはいい表すことができない。動物は、わたしたち人間に近い存在であるようにも思われるが、実はその存在の仕方において、あまりにも遠すぎる存在なのだ。

したがってわれわれはこのような対象を、明確な様式で記述することはできない。というかむしろそれについて語る適正な様式とは、公然詩的な様式である以外ありえないのである。」


2.道具

 人間が動物と異なっているのは、まず何をおいても、自分を対象化できるという点にある。

 ではどのようにして、人間はそのような観点を得ることができたのだろう?

 バタイユはいう。

「物=客体をそれとして位置づけることは、動物性においては与えられていないのだが、人間がいろいろな道具を使用するということのうちに与えられるのである。    

 道具の使用が、まず世界を「利用可能な対象」として認識させることを可能にした。そしてそれは、回り回って、わたしたちに、わたしたち自身をも対象化する視線を獲得させたのだ。


3.連続性(=聖なるもの)

 しかし、このように一切が対象化可能な世界(有用性の世界)へと還元されると、わたしたちにはかえって「連続性」へのノスタルジーがわいてくる。

 「連続性」、それは、先に述べた動物的な「内在性」の世界のことである。

「連続性とは動物にとっては他のなにものとも区別されないものであって、動物においては即自的にも対自的にも唯一可能な存在の様態なのであるが、人間においてはその連続性は、俗なる道具の貧困さ(非連続な物=客体の貧困さ)に対し、聖なる世界のあらゆる魅惑を対比させたのである。    


4.供犠

 この「連続性」の世界を再探求するものこそが、宗教の本質である。バタイユはそのようにいう。(『エロティシズム』においては、エロティシズムもまた、この「連続性」への回帰のあり方として描かれている。)

 それを象徴するのが、供犠である。

供犠が犠牲の生贄の内で破壊したいと願うのは、事物――ただ事物のみ――なのである。供犠はある一つの物客体を従属関係へと縛りつける現実的な絆を破壊する。つまり生贄を有用性の世界から引き剥がして、知的な理解を絶するような気まぐれの世界へと戻すのである。献上された動物が祭司によって殺される領界へと入っくとき、その動物は事物たちの世界から――つまり人間にとって閉じられており、なにものでもなく、外から知るだけの事物たちの世界から――引き戻されて、人間にとって内在的な、内奥的な世界へと、ちょうど消尽を思わせる肉体的交わりの中で女が知られるのと同じように知られる世界へと移行するのである。それが仮定しているのは、そのとき人間のでも自分自身の内奥性から切り離された状態を止めるということ、すなわち労働という従属関係において人間がそうである状態を止めるということである。    

 供犠においては、奴隷、食料、動物など、有用なものが犠牲にされる。つまりこれは、有用性の世界を、連続性の世界へと移行させていく営みなのだ。

「重要なのは持続性のある秩序から離れて、つまりそこでは諸々の資源の消尽が全て持続する必要性に服従しているような秩序から離脱して、無条件な消尽の激烈さ暴力性へと移行することである。〔中略〕供犠とは将来を目ざして行われる生産のアンチーゼであって、瞬間そのものにしか関心を持たぬ消尽である。    

 これはまた、有用性の世界にとらわれたものを、本来あるべき連続性の世界へと戻してやる営みともいえる。

「供犠の対象となるものとは、動物たちや食料となる植物たちのように、本来精霊としてありえたはずなのに事物と化してしまったものたち、だからそれらが由来する源である内在性へと、失われた内奥性の茫漠たる領界へと戻してやらねばならぬものたちなのである。    


5.宗教の本質

 こうしてバタイユにとって、宗教の本質は「喪われた内奥性を再探求することにある」

 しかしその上で、彼は次のようにいう。

「宗教とは、その本質は失われた内奥性を再探求することにあるのだが、結局のところ全体として自己意識であろうとする明晰な意識の努力に帰着するのである。しかしこの努力は空しい。なぜなら内奥性の〔についての〕意識とは、意識がもはや一つの操作ではないような水準、つまり操作とはその結果が持続を当然のこととして含むものであるが、そのような操作ではなくなるレヴェルにおいてしか可能でないから。    

 内奥性(連続性)の世界や、またそれについての意識は、本来言葉にしがたいものである。

 にもかかわらず、宗教は、やがてこれを「明晰な意識」において捉えようとするようになる。

 こうして宗教は、やがてその矛盾を露呈することになってしまうのだ。


6.戦争

 その矛盾について述べる前に、バタイユはここで戦争についてひと言触れる。

 戦争もまた、有用性とは無関係な、瞬間的なエネルギーの爆発であるように見える。

 しかし実はそうではない。戦争は結局のところ、勝者による「有用性」の世界を築き上げるものであるからだ。

「確かに戦争行動は、個人の固有な生の価値を否定的に賭に投入することによって、独特な様式で個人を解体する方向性を持っているけれども、やがて時間の継続のうちに、逆にその価値を強調するようになることは避けがたい。というのも生き残った方の個人が、その賭への投入の結果を利益として享受する人になるからである。」    

 バタイユは、人間は消尽(蕩尽)存在であるということを、様々な著作で繰り返し述べている。

 それはつまり、人間は究極的には、何か有用なもののためにエネルギーを使うのではなく、ただ爆発させるためだけにためこんだエネルギーを爆発させる、そのような存在であるということだ。

 宗教やエロティシズムが、その象徴である。

 しかし人は、この消尽(蕩尽)を、時に戦争という形で実現しようとすることがある。

 第2次大戦は、バタイユにとっては、ある意味ではそのような蕩尽の姿でもあった。

 しかしバタイユはいう。戦争は、実は本来の蕩尽のあり方ではないのだと。

 バタイユは、やがて訪れるかもしれない第3次大戦を恐れていた。それゆえ彼なりの仕方で、この危機をどう克服しうるかを考えた。本書と同時期に書かれた『呪われた部分』は、その1つの答えである(バタイユ『呪われた部分』のページ参照)。


第2部 理性の限界内における宗教(軍事秩序から産業発展へ)

 続く第2部では、「内奥性の再探求」であったはずの宗教が、軍事や産業の世界において、理性の世界内部へと押しとどめられていく様が描き出される。


1.二元論

 軍事や産業の世界は、徹頭徹尾「有用性」の世界である。

 ここにおいては、宗教もまた、有用性の世界に資するものへと堕していくことになる。

 その象徴が「モラル」である。軍事・産業世界においては、宗教はモラルを司るものになってしまうのだ。

 しかしこのモラルなるものは、その本性からいって、あらゆる無益で、有用性のない消尽を断罪するのである。」

 こうして、次のような二元論が登場することになる。

二元論が進展していくと、神的なものは理性的で、モラルに関わるものとなり、不吉な聖性を俗なるものの側へと投げ棄てるのである。

 それまでは、神的なるもの(聖なるもの)の中に、吉と不吉、清浄と穢れが混在していた。それは端的に、有用性の世界に対置される「連続性」の世界だった。

 しかし、軍事・産業世界の進展に伴って、宗教は理性的なモラルを司るものになり、不吉なもの、穢れたものを、俗なるものの世界に追いやることになったのだ。


2.科学

 このことは、科学の進歩によってさらに決定的なものとなる。

 科学は、いわば有用性(合理性)そのものの世界である。

 それゆえ、科学的な認識と内奥性(連続性)の世界との交流とは、互いに相容れないものである。

「判明に区切られた認識と内奥次元とを一致させるのが困難である理由は、時間におけるそれらの存在様式が対立しているということに拠っている。神的な生命は直接=無媒介的であり、瞬時なものであるが、認識は宙吊り状態とか待機などを要求する一つの操作なのである。」

 内奥次元との交流は、直接=無媒介的なものである。それに対して科学的な認識は、様々な操作(観察・実験など)を通して、世界を客観的に、つまり対象的に捉えようとする。

 人間が、こうした操作的な知の世界から脱却するためには、いったいどうすればいいのだろうか?バタイユはいう。

こうした条件においては、客観的な認識という形態のうちに与えられた要請に適切に応えることは、誰であれ非—知を措定することによる以外できないであろう。」    

 ありていにいうと、わたしたちは、言語化不可能な世界と交流しなければならない。科学的な世界観へと還元されてしまったわたしたちの認識を、もう一度内奥性の世界へと還元しなおす必要がある。そうバタイユはいうわけだ。

ただ彼がなしうることは、操作によって事物へと還元されたのだから、逆の操作にとりかかること、つまり還元の還元へととりかかることだけである。



 (苫野一徳)

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