宮坂宥勝・梅原猛『生命の海〈空海〉』(仏教の思想9)


はじめに

 「仏教の思想」シリーズの中でも、とりわけ名著に数えられるべき本書。

 本書が出るまで、空海は半ば忘れられた存在だった。

 しかし本書の刊行後、司馬遼太郎の『空海の風景』をはじめ多くの空海関連本が出版され、日本には一種の空海ブームが巻き起こることになった。

 碩学、宮坂宥勝氏の存在が極めて大きい。本書は、空海を知り尽くした宮坂氏による、最良の空海入門書とも言える。

 梅原猛氏によれば、空海が忘れられていた理由には次のようなものがある。

 1つは、浄土真宗などに比べて、空海の真言宗は今では小宗派にすぎなくなっていること。2つは、彼の思想の難解さ。そして3つは、明治における廃仏毀釈・神仏分離

 決定的な理由は、この3つ目にあったと梅原氏は述べる。

「密教は曼荼羅の思想によって神と仏との共存を可能にした。しかし明治以後の日本のナショナリズムの主流の思想であった平田神道は、この神と仏の共存に強く反対したのである。外来の仏との共存、それは純粋な神の不純化ではないか。江戸後期の平田篤胤が、このような不純なる神仏共存を考えた空海に敵意をもったのは当然である。篤胤は伝統復帰の名において空海を斬った。そして明治以後のナショナリズムの潮流は、多かれ少なかれ、この篤胤の思想の影響をうけた。」    

 しかし、空海の天才とその思想の奥深さ、そして独自性は、今や誰もが知るところのものだ。

 以下、その深遠な世界を味わっていこう。


1.三教指帰

 空海は、奈良朝の末期、774年に、現在の香川県善通寺市善通寺に生まれたと言われている。

 父はこの地方の豪族だった。

 母方の伯父に、阿刀大足という大学者がいた。空海は彼について、幼少の頃から漢籍に親しんだ。

 早熟の天才だった空海が、処女作『三教指帰』(さんごうしいき)を著したのは24歳の時。

「この作品は、空海の出家の宣言書であるとともに、わが国最初の戯曲風の思想批判書でもある。」

 内容は、儒教、道教、仏教を比べた上で仏教の優位を説くというものだが、その際、空海は単に儒教や道教を切って捨てるのではなく、これらを含み込んだものとして仏教を位置づけた。

「注意すべきは仏教にはいったからといって、儒教と道教とを排撃したのではないということであろう。〔中略〕そこには、あらゆる思想や哲学や宗教をつつんで、それぞれの持ち味を生かしながら総合的にそれらを統一するという高度な思惟方法のめばえが認められる。それは後年、空海五十七歳ころに完成した主著『秘密曼荼羅十住心論』および『秘蔵宝鑰』において、さらに雄大な思想体系となってみごとに開花するのである。」

 内容の詳細は、本ブログの『三教指帰』のページを参照していただければと思う。


2.入唐と恵果との出会い

 『三教指帰』執筆からの7年間、空海の消息は分かっていない。

 彼が再び表舞台に登場するのは、31歳で唐に渡る時だ。

 入唐した彼は、すぐさま密教の中心地であった長安を訪れる。そして、密教の正統的継承者、恵果に出会う。

 これは運命的な出会いだった。

「恵果は空海を見るやいなや笑みをふくんでよろこび、「わたしは前から、あなたが来られるのを知っていて、久しいあいだ、お待ちしていました。今日、お目にかかれたことはたいへん喜ばしいことです。わたしの寿命もまもなく尽きようとしているが、密教を伝えるのに然るべき人がありませんでした。早く用意をととのえて灌頂壇(密教の秘法を伝える道場)に入るのがよいでしょう」と言ったのであった。」 

   今や伝説的なエピソードだ。

 こうして密教は、ヴァジラ・ボーディ(金剛智)→アモーガ・ヴァジラ(不空金剛)→恵果→空海と直伝された 。

 日本人空海が、インド以来の密教の正統的継承者となったのだ。

 伝説はさらに続く。

「空海は恵果にしたがって学法灌頂壇に入り、作法にしたがって胎蔵曼荼羅に花を投げたところ中台大日如来の身上に着いたので、恵果はこの不可思議を賛嘆した。さらに七月上旬に金剛界曼荼羅の灌頂を受けたところ、ふたたび大日知来に投華得仏するところがあったので、恵果はふたたびこれを賛嘆したのであった。」   

 灌頂の儀式で空海が曼荼羅に投げた花は、2度とも、密教における絶対仏大日如来の上に落ちたのだ。この出来事から、恵果はじめ多くの人は空海の神通力のようなものを感じ取ったに違いない。

 その後恵果が入滅すると、空海はその墓碑の撰文に筆をとることになった。

「異国の一青年が入唐して一年あまりで、このような栄誉をになったことはまったく異例なことであるといわなければならない。」    

 密教の正統的な継承者となった空海は、当初唐に20年滞在する予定だったのを、わずか2年で切り上げて日本に戻った。


2.最澄と空海

 この時期、空海のライバルにして、当時においては彼よりはるかに名声の高かった、伝教大師最澄もまた唐にいた。

 最澄は、彼の地で主に天台教学を学んだが、同時に密教も学んでいた。

 しかし帰朝後、自分の学んだ密教が正統のものではなかったことを悟ると、殊勝にも空海の元を訪れて自ら灌頂を受けた。

 時に、空海39歳、最澄46歳。

 当代随一の高僧が、密教においては空海に弟子入りしたのだ。

 しかしよく知られているように、その後二人の関係は疎遠になる。

「それは、そのころ最澄の高弟の泰範が空海のもとにはしったことと、翌四年十一月に『理趣釈経』その他の経巻の借用を最澄が申し入れたところ、これを空海がきっぱりと断わったことによるもののようである。」    

 司馬遼太郎の『空海の風景』にも描かれているように、空海は内心、最澄を軽く見ていたのかもしれない。

「法華一乗をもって最極最奥の教えとする天台教学に対して、空海はそれを認めながらも、しかもそれを真言密教に包摂するところの密教体系を着々とととのえていた」

    空海に言わせれば、最澄の天台など、密教に包摂されてしまう程度のものだったのだ。

 その最澄はと言えば、彼の人生は他宗派との論争に明け暮れたものだったと言っていい。

 それに対して、空海はあらゆる宗派を包み込んだ上で密教を説いた。

 この思想的度量の違いもまた、空海をして最澄の能力を認めきれない1つの理由だったかもしれない。


3.高野山と東寺

 816年、空海は、真言密教の修行の根本道場として高野山を開創する。

 また823年には、篤い友情で結ばれていた嵯峨天皇より東寺が給預される。

「以後、ここをもって鎮護国家の根本道場とし、京都を舞台に空海のほとんど超人的ともいうべき活動がつづけられる。」

 さらに空海の活動は続く。

 821年には、四国讃岐の貯水池、満濃池を修築。    

 828年には、東寺の東隣に綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)という学校まで開設した。

「これはわが国の最初の庶民学校であるばかりか、その後においてもおそらく類例を見ないものである。当時すでに貴族の子弟のための学校は五、六あったけれども、この学校は貧しい家庭の子弟、あるいは勉学の志あっても地方にあって学ぶことのできない者のために設立されたものである。」

 そうして835年、空海は入滅する。

 その後921年、醍醐天皇は、空海に弘法大師のおくりなを下賜した。


4.密教の発生

 空海が唱えた真言密教とはどのようなものだったのか。

 まずは密教の発生から見ていこう。

 原始密教は、初期仏教経典の中の、守護呪とよばれるものを中心に形作られた。

 もともとは、呪文のもつ呪術的精神的な効果を主張するものだった。

 その一方で、密教は、大乗の諸仏菩薩やバラモン教・インド教の神々、さらには民間信仰の諸神にいたるまで、すべての信仰対象を取り入れていった。

「このようにして、ついには絶対の仏である密教の大日知来によってあらゆる仏菩薩や神々がことごとく総合的に統一され包摂されたのであった。」

 空海の真言密教は、7、8世紀ころにインドで成立した『大日経』金剛頂経』の二つの経典の教理にもとづいて体系化された。どちらも大日如来の説いたものとされている。

「今日、『大日経』『金剛頂経』成立以前の密教を雑部密教すなわち雑密(ぞうみつ)といっており、『大日経』『金剛頂経』を中心として、恵果から空海に伝えられた密教を正純密教すなわち純密とよぶならわしになっている。」


5.顕教と密教

 密教はその名の通り「秘密の教え」を説くものだが、ここで「秘密」とされているものは一体何だろう?

「本来、秘密はグヒヤ(guhya)という梵語の訳語である。覆うという動詞の語根からつくられたもので、覆われたものという意味をもつ。覆われたというのは露わでないことの対の概念である。」

 それでは、何が覆われ隠されているのだろうか?

 「真言」(マントラ)、すなわち大日如来のさとりの世界だ。

 この真言は、人間の言葉で捉えられるようなものではない。

 ブッダ以来多くの経典が著されてきたが、これらは人間の言葉で書かれたものであるにすぎない。

 このような仏教を、空海は顕教と呼ぶ。ブッダが説いたのは顕教なのだ。

 それに対して、密教は大日如来が説くものだ。密教の立場からすれば、ブッダもまた大日如来の一現象なのだ。

 顕教と密教の違いはいくつもあるが、特徴的なのは成仏(仏教における理想の境地)における考え方だろう。

 基本的に、顕教においては、私たちは長い時間をかけて修行しなければ成仏することができない。

 もっとも、天台華厳は、煩悩にまみれた状態のままで、現世において目ざめることができるならば、そのまま成仏の理想を実現することができると説いている(仏教の思想5『絶対の真理〈天台〉』、仏教の思想6『無限の世界観〈華厳〉』のページ参照)。

 しかしそれもまた、空海に言わせれば、まだまだ理論にとどまるもので実践に至っていない。

 空海の思想は、のちに詳しく見るように「即身成仏」にある。密教はそのための具体的な修行法も用意したのだ。

 空海によれば、ブッダの背後には絶対のブッダ(大日如来)がいる。これを、法(ダルマ)を体現するものとして法身と呼ぶ。

 顕教においては、この法身は理念的な存在にすぎず、したがって色も形もないものとされる。

 それに空海は反論する。

「密教の法身である大日如来は、色も形もあるものであって、しかも永遠に真理を説いている。この点が、空海によってもっとも強調されているところである。」

 この大日如来の威光は、常に私たち人間に染み渡っている。それゆえ人は、その存在のありのままにおいて成仏しうると空海は言うのだ。


6.曼荼羅の世界

 先述したように、密教は人間の言葉では表しきれない真言を説く。そのために、人びとのイメージに訴えかけやすい曼荼羅を利用する。

「密教の教えは奥深くて言語文字で表現することは困難であるから、かりに図画をもって密教の大生命の世界をまだ知らない人びとに示すのである」

 真言密教には2つの曼荼羅がある。

 金剛界曼荼羅胎蔵曼荼羅だ。

「空海の真言密教では金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅との二元的世界を説いている。ともに大日如来を中心として無数の仏菩薩や神がみ、あるいは餓鬼畜生に至るまでのあらゆる存在が描かれて、渾然一体さながら宇宙の大交響楽がそこに再現されているかのように感じられるのである。万有一切、あらゆる存在がそれぞれに固有な宗教的人格をもって現わされている。それらは大日知来という絶対者の顕現している姿であるとともに、大日如来はいっさいの存在を包摂しながら超越しているところのものである。」

 金剛界曼荼羅は、いわば精神世界を表したもの、胎蔵曼荼羅は物質世界を表したものと考えることができる。

 いずれも、この世界を唯一の絶対者である大日如来の象徴として描き出している。

 金剛界曼荼羅は、9つのグループからなっている。それゆえ九会(くえ)曼荼羅とも言われる。

 九会の真ん中にあるのが羯磨会(かつまえ)。

 中央に金剛界の絶対の知恵を示す智拳印を結んだ大日如来を置き、それを仏菩薩が取り囲んでいる。

 それ以外のグループについては、ここでは割愛する。

 胎蔵界曼荼羅は、十三大院からなっている(現図では第十三の院が欠けて十二大院担っている)。

 これも、一番重要な中央の中台八葉院についてだけ書いておこう。

「これは十三大院の基本となるもので、他の一二院はすべてこの中台八葉院を中心に展開している。胎蔵曼荼羅の中央に位置し、この院の中央に胎蔵を象徴する慈悲の法界定印を結んだ大日如来があり、そのまわりを取り囲むように、法幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音の四仏を配する。」

 ちなみに、高野山も東寺も、この両曼荼羅を元にして設計されている。
 

7.『秘密曼荼羅十住心論秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)

 続いて、空海の主著『秘密曼荼羅十住心論と、その要約とも言うべき秘蔵宝について見ていこう。

「秘密の世界は他に求めるべきものではなく、あくまでもこの自分自身の心の内奥に深く秘められているということ、これが空海の真言密教の思想的基盤をなしている。」
 
 したがって、曼荼羅とは大日如来の絶対の世界を表すと同時に、私たちの心を表したものでもある。

 空海は、私たちの心をどのように見ていたのだろうか?

 まず『秘密曼荼羅十住心論』の書名から見てみよう。

「秘密曼荼羅とはさとりの絶対智からみた真実在、すなわち絶対者たる大日如来の世界であり、それはまた同時に、われわれひとりひとりの心の本性として内在しているものである。したがって、超越的な絶対者の世界も、内在的な自己の真実の心の世界も、要するにそれらは超越的であるとともに内在的であり、内在的であるとともに超越的でなければならない。」

 他方の『秘蔵宝鑰』の書名について。

「『秘蔵宝鑰』の書名の「秘蔵」は秘密蔵のことであって、この秘密の曼荼羅世界をわれわれの目にはおおわれたもの、すなわち蔵にたとえ、その蔵を開く鍵を教えているという意味で「宝鑰」と名づけたものである。宝は美称であって特に意味はない。」    

 十住心とは、人間の心の10の階梯を描いたものだ。

 その詳細は、本ブログの『秘蔵宝鑰』のページを参照していただきたい。無知迷妄な状態から、即身成仏を悟りこれを実現する「秘密荘厳心」に至るまでの道のりが描かれている。


8.即身成仏

 空海は『即身成仏義』の中で次のようなことを言っている。

「まず絶対者である大日如来は自覚の本体であって、これとわれわれの本性とは本来同一なものであるべきである。ところがわれわれはこのことを十分に認識していない。だから、この理法を絶対者がわれわれに認識させるのである、と説いている。」

 さらに吽字義のなかでは、自己がそのまま絶対者であるとさえものべている。

 著者の宮坂氏は言う。


「仏教だけでなく、宗教一般に肉体は魂の牢獄であるといった見方が支配的である。しかし、空海ほど宗教的な意味で肉体の存在を尊重した人はないであろう。」

 このような思想が、日本における悉皆成仏の思想の土台となったと考えられる。

「一木一草、山河大地にいたるまでことごとくが成仏するという思想は、日本密教の主要なテーマとして、のちに「草木国土悉皆成仏」という命題で表わされる。その思想の淵源するところを、われわれは空海に求めることができるであろう。」


9.加持

 密教といえば「加持祈祷」という言葉が思い浮かぶが、この「加持」とは、絶対者の慈悲とわれわれの信心のまこととの合一を意味している。

 これを、密教では「本尊の三摩地」または「密教の三摩地」とよばれる独自な深秘の瞑想によって達成しようとする。

 三摩地または三密と言う時の「三」は、身密・口密(くみつ)・意密のことを言う。身体・言語・精神のことだ。密教では、これらに基づいた瞑想を行うのだ。

「絶対者たる大日如来がかつてなしたるがごとく、われわれもまた絶対者の印を手に結び、絶対の秘密のことばである真言を唱え、わが心を絶対者と同一の瞑想の境地にすえるとき、わが全行為はすべて絶対者の全行為に合一するから、ただちにこよなき完成が得られる、というのである。」    

 こうして実際に絶対者を自己において見、自己を絶対者において見ることができた状態を、古来より「加持感応」と呼んでいる。


10.真言

 真言密教は「ことば」の密教だ。そこで空海の独自な言語哲学について見ていこう。

 『声字実相義』において、空海は次のようなことを言っている。

「絶対者が絶対の真理を説いている場合には必ず文字による。」


「宇宙の大生命の実在の世界は、そのまま偉大な生きたことばである。」
   
 この言葉について、空海はサンスクリット語の「阿」字をもって大日如来を象徴するものとする。

「阿字はサンスクリット語のアルファベットの最初の字であるとともに、最初に口より発せられる声である。また、それはすべての発音において認められるものだと説かれる。したがって、阿字をもって、天象の本源であり、いっさいにあまねく存在する絶対者たる大日如来の名字を表現し、これが声字だというのである。」

 さらに『吽字義』において空海は次のように言う。

「空海は、吽字は実在の根源である唯一の真実在であって、この一者より万物が流出する、と説いている。」

 宮坂氏は言う。

「こうした形而上学的な一者を吽の一字に観想する空海の吽字哲学は、古代ギリシアの哲人プロティノスが説いた「一者」にも比せらるべきものがある。インド最古のバラモン聖典『リグ・ヴェーダ』でも宇宙の根本原理ともいうべきものを唯一者といった。このさいの「一」というのはインド哲学的な概念にしたがえば、二、三などに対する相対概念ではなく、全一の「一」、したがって対立するものなき絶対の「一」を意味する。〔中略〕しかも、相対するものを排除否定して得られる一者ではなく、相対するものをふくむ、いわば多値的な一者である。このような一者の観念を日本人としてはじめて明瞭にみずからの意識にのぼらせたのは、おそらく空海ではないかと思われる。」    


11.煩悩即菩提

 最後に、空海の「煩悩即菩提」の思想について見ていこう。

 煩悩を断ち切ることでさとりの世界が得られるというのが、顕教一般の考え方だ。

 それに対して、密教は煩悩を否定しない。
 

密教は煩悩即菩提を高唱する。いちずに煩悩を否定し去って菩提、すなわちさとりを得るのではなく、煩悩さながらに煩悩が菩提となるのである。いわば煩悩の絶対肯定において、煩悩がそのまま菩提に価値転換するわけである。煩悩の根を断ち切ったならば菩提そのものも得られないと説くのが、真言密教の根本的立場なのである。」

(苫野一徳)

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