倉田百三『愛と認識との出発』


はじめに

 1921年に発表された本書は、たちまちのうちにベストセラーとなった。

 その4年前に出版された倉田の戯曲『出家とその弟子』もまた、現代にまで続くベストセラーだ。

 私もまた、中学時代に『出家とその弟子』を読んで、ひどく感化された者の一人だ。以来、倉田百三は、私にとってずっと「気になる先輩」であり続けた。

 先輩、というのは、彼の過剰なまでのロマン主義が、当時の私の精神にぴたりと符号したからだ。

 絶対なる愛の希求。理想と現実の相克に苦しみながらも、なお理想を信じ抜こうとする生き方。

 これは若者だけに許された特権だ。とりわけ、日本の近代化を託された、明治・大正時代に青春を生きた倉田らエリート青年は、激しい理想主義に燃える理由があった。

 このような理想主義・ロマン主義は、現代の若者たちには流行らないかもしれない。しかし本書には、理想を抱かずには生きられないタイプの人間たちのリアリティがある。

 と、しかし倉田に心酔してから二十数年、哲学徒になった今の私は、持って生まれた気質はさておくなら、彼の素朴なロマン主義からは遠く離れたところにいる。

 哲学的に言って、本書で展開されている倉田の思想は、文字通り青臭い未熟さに満ちている。その肩に力の入りすぎた文章、自己陶酔に過ぎる表現は、読者に微笑以上に恥ずかしさを覚えさせるほどだ。

 でも、それでもなお、ここにはやはりある時代、ある世代の思想のリアリティがある。

 1943年、旧制第一高等学校(現在の東京大学)の学生たちが最も愛読したのは、本書だったという。

 以下、近代日本のあけぼのの時代精神を見ていくことにしよう。


1.異性の内に自己を見出さんとする心

 本論文で、まず倉田はかつて自分が独我論者であったことを述べる。

 確実なのは自分の意識であって、それ以外は影である。そう考えていたと述べる。

「私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在は直ちに内より直観できる。私はこれを疑うことは出来なかった。しかしながら他人の存在が私にとっていかばかり確実であろうか。〔中略〕私はここに認識論の煩瑣な理論を書くことを欲しないが、とにかくその頃の私は唯心論の底に心を潜ませていた。私はどう思っても主観のVorstellungとしての外は他人の存在を認めることができなかった。私にとっては他人の存在は影のごとく淡きものに過ぎなくなった。」

 そのため、愛などというものも、迷妄以外の何ものでもないと考えていた。

「この頃私に取りては愛ほど大きな迷妄はなかった。」

 ところが倉田は、ある日西田幾多郎『善の研究』との運命的な出会いをはたす。

 そこにはこうあった。

「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的であるという考から独我論を脱することが出来た。」

 この西田哲学との出会いが、倉田を独我論から抜け出させることになる(西田幾多郎『善の研究』のページ参照)。

 最も根源的な実在は、私の意識などではなく、主客未分の「一」なる存在である。倉田はそう考えるようになったのだ。


「実在の最も原始的なる状態は個人意識ではないそれは独立自全なる一の自然現象である。我とか他とかいうような意識のないただ一のザインである。ただ一の現実である。ただ一の光景である。純一無雑なる経験の自発自展である。主観でもない客観でもないただ一の絶対である。

 それゆえ愛とは、この主客合一への帰還の要求のことである。

愛は主観が客観と合一して生命原始の状態に帰らんとする要求である。

 このように考えるようになった倉田は、そのような愛を狂おしく求めるようになる。

「私は男性の霊肉をひっさげて直ちに女性の霊肉と合一するとき、そこに最も崇高なる宗教は成立するであろうと思った。真の宗教はsexの中に潜んでるのだ。ああ男の心に死を肯定せしむるほどなる女はないか。私は女よ、女よと思った。そして偉大なる原始的なる女性の私に来らんことを飢え求めた。」

 このあたり、読者が恥ずかしくなってしまうような表現が延々続く。次のような文章には、思わず吹き出してしまうような青々しさがある。

「私は若さまと嬢さまとの間に成り立つような甘い一方の恋がほしいのではない。生命と生命との慟哭せんほどの抱擁がほしいのだ。私が深く突っ込むとき私は皆逃げられた。気味悪るがられた。〔中略〕私は処女は駄目なんだろうかと思った。」

 さらに彼はこんなことまで告白する。


「私は非常識にも色街の女に人格的な恋を求めに行った。私はこんなところへも肉を漁りに行かなかった。私は童貞であったが、故あって私の生殖器は病的に無能力であったのである。ただ魂でも、肉でもない、私の全部生命を容れてくれるような女を求めに行ったのだ。けれどもそれは失望に終った。あの艶々しい黒髪としなやかな白い肌、その美しい肉体のなかに、どうしてこんな下劣な魂が宿ってるのであろうかと不思議でならなかった。私はその肉体美だけを彼れらから剥ぎ取ってやりたいほどに思った。女は何故こんなに駄目なのであろう。私は腹が立つよりも悲しかった。止むなくば「女」を撲滅しなければならない。そして女の肉だけを残さなければならないと思った。」

 みなぎる性欲と、崇高な愛を求める理性との相克の様を感じさせられる。

 そんな倉田に、ある日ついに真の恋が訪れることになる。

「ああ私は恋をしてるんだ。これだけ書いた時涙が出てしかたがなかった。私は恋のためには死んでも構わない。私は初めから死を覚悟して恋したのだ。私はこれから書き方を変えなければならぬような気がする。何故ならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学との理論は、一度私が恋してから何だか役に立たなくなったように思われるからである。私は実に哲学も芸術も放擲して恋愛に盲進する。〔中略〕今の私にとって恋愛は独立自全にしてそれ自ら直ちに価値の本体である。

 自分は彼女にすべてを捧げると倉田は言う。

「私は私の身心の全部をあげて愛人に捧げた。私はどうなってもいい。〔中略〕私は決して彼の女に背かない。偽わらない彼の女のためには喜こんで死ぬことができる。

 だから、もしもこの恋が破れたならば、私はもう自滅するほかないと彼は言う。

「ああ私は血まみれの一本道を想像せずにはいられない。その上を一目散に突進するのだ。力尽きれば止むを得ない。自滅するばかりだ。」


2.恋を失うたものの歩む道

 倉田の恋は、結局破れ去ることとなる。

 しかし彼は、結局自殺することはできなかったと言う。

 自分の道徳心が、自殺を許さなかったのだ、と。

「私にとって最も痛切なる理由は自殺が私に最深の道徳的満足を与えない事である。最終までの努力感を与えないことである。自らをほめる心地になれない事である。」

 なぜ自分の恋愛はうまくいかなかったのか。倉田はその理由を次のように分析する。


私の恋愛の崩れたのはその誤謬からであった。私の恋愛は甘きもの美しきものに対する憧憬ではなく「確実なもの」を捉えんとする要求であった。確実なる生活の根本基礎を女の本能的な愛の中に据えつけようとした。〔中略〕しかしながら本能的な愛は私の期待した如く決して鞏固ではなかった。女の恋愛には精神生活の根底がなかったために、その崩れ方は実に脆かった。私は一種の錯誤に陥っていた。私の厖大なる形而上学的の意識生活を小娘の本能的な愛の上に据えつけた。それが瓦壊の源であった。

考えてみれば彼の女は憐れむべき女である。私を欺いたのも悪意からではなく稚きものの犯しやすき表現の罪に陥ったものであろう。まだ思想の定まらない彼女が私の超大な、不完全な、私の精神生活の重荷に堪えなかったのも無理はない。

 自分の偉大な精神は、しょせん小娘ごときには理解できなかったのだ。平たく言えば、倉田はそう言うわけだ。

 そこで彼は言う。今後自分が求めるべきは、恋愛ではなくキリスト教的な隣人愛である、と。

「私は本能的な愛と基督教的な愛とを混雑させていた。私は前者より後者に推移せねばならぬ。」


3.隣人としての愛

 こうして倉田は、続く論文で隣人愛について論じることになる。

 真の愛は隣人愛のみである。そう倉田は主張する。


「私は今は隣人の愛のみ真実の愛であると信じている。母子の愛と男女の愛とは愛と異なるのみならず、相乖くものである。それは愛ではなくてエゴイズムの系統に属するものである。多くの人はこれを混同している。」

 真面目な、いかにもエリート青年の思想と言うべきだろう。

 恋の挫折を味わい、そしてその中におのれのエゴイズムを見て取った倉田は、その反動から、「真の愛」を思い描き、そしてそれをキリスト教的な隣人愛に見出したのだ。

 ニーチェに言わせれば、それはある意味、ルサンチマンによって抱かれた反動の思想と言うべきだろう。

 しかし同時に、ここには、高い理想を思い描かずにはいられない、明治のエリート青年の真摯さもまた見ることができるように私は思う。


4.愛の二つの機能

 倉田はさらに、愛とは祈りであると言う。

親鸞聖人は念仏によて完全な愛の域に達せんと望んだ。私はこの計画の実際的効果をまだ信じ得ないけれど、愛を思えば祈りの心持を感ぜずにはいられない。もとより未だこの祈り聞かるべしと信じての祈りではない。しかし、祈りの心持を感ずる。そして私は今ではこの心持を伴わざる愛は、決して深いものとは思われなくなているどうぞ私がこの少女の運命を傷けませぬように! 昔あ海べで別れた病める友、今はどうしているかわかりませぬが、どうぞ幸でいますように!

 なるほど、この文章にはいくらかのリアリティがある。人は愛を知った時、相手の幸せを、何かのご利益を期待してと言うわけではなく、ただ純粋に祈らざるを得ないものだ。

 しかし倉田が次のように言う時、そこには青年期の未熟さを感じないわけにはいかない。

キリストの如き宗教的天才においては、その愛は常にたたかいの相を呈している。そしてその闘いは、祈りによって義しくされている。〔中略〕深く考えてみれば、愛とは他人をして人間としての真理に従わしめようとすることのほかにはない。故に愛を実行せんとする時には、自己に取って真理なることは、他人に取っても真理であるとの信仰が必要である。」

著しくいわば、真に徹底せる愛は、真理を強いることである。マホメットが剣を以て信じさせようとした心持には、愛のある真理が含まれている。

「自己にとって真理なることは、他人にとっても真理であるとの信仰」。

 これはヘーゲルが、まだまだ未熟な精神ステージである「心胸の法則(むねののり)」として描き出したものにほかならない。

 しかしこの素朴な信仰は、現実世界の前にもろくも崩れ去る。私にとって正しいことが、即座に人にとっても正しいことであるはずなどないのだ。

 そこでこの未熟な精神は、次の未熟な精神である「徳の騎士」のステージへと移行する。

 まさに、「マホメットが剣を以て信じさせようとした」ように、他者に向けて真理(と自分が信じるもの)を強要するのだ。

 しかしこれもまた、結局のところ独りよがりな攻撃性以外の何ものでもない。

 倉田の思想は、ヘーゲルの観点から見ればあまりに未熟なものと言わざるを得ないヘーゲル『精神現象学(2)』のページ参照)

 しかし同時に、私たちはこの未熟さの中に、青雲の志を抱く若者の、実存を賭けたリアルなあがきを見ることもできるのだ。


(苫野一徳)

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