ニーグレン『アガペーとエロース』(1)

はじめに


 アガペーは与える愛。エロースは求める愛。

 高校時代に、そのように習い覚えた人も多いと思う。

 その元ネタが、本書だ。

 著者のニーグレンは、20世紀スウェーデンのルター派神学者。

 本書で彼は、古代ギリシアのエロースの概念と、キリスト教におけるアガペーの概念の根本的違いについて明らかにする。

 エロースは、いわばどこまでも自己中心的な「求める愛」である。

 それに対してアガペーは、絶対的な神の「与える愛」である。

 このアガペーの概念は、愛の思想史において、極めて画期的かつ独自の概念だった。

 しかしキリスト教の歴史において、アガペーの概念には絶えずエロースの概念が侵入してきた。

 本書第2巻、第3巻でニーグレンが明らかにするのは、この2つの愛の概念が、キリスト教の歴史においてどのように出会い、融合し、そして最終的に完全に分離するに至ったかの全容である。

 その分析に取りかかる前に、ニーグレンは、本書第1巻においてアガペーとエロースの概念の基本特質を明らかにする。

 以下、その概要を紹介していこう。


1.アガペーとエロースの差異

 まずニーグレンは、アガペーとエロースが完全に異なった概念であることを強調する。

「エロースとアガペーの観念が、二つの相違した精神界に属している、ということは、明らかな事実である。」

 しかしこれらの言葉は、長い間混同して使用されてきた。

 その理由は主に2つあるとニーグレンはいう。

「その第一は、伝統の力である。一千年以上、その二つの愛の観念はまじり合って、キリスト教界のあらゆる部分で混同されてきたのであるし、強い伝統の拘束力を例証する必要は少しもない。第二に、言語の力がある。アガペーとエロースはギリシャ語であって、われわれの言語では、どちらも愛の一語で表わされている。」    

 とりわけこの第一の点について、ニーグレンは本書第2巻、第3巻において、2つの概念がどのように混合し融合してきたかを明らかにする。

 つまり本書の主題は次の点にある。

「われわれの目的は、歴史に現われた形で示されているままな、それらの実際の性格を、ただ理解することなのである。それゆえに、われわれがエロースとアガペーの対比を示す場合、それはアガペーの優越とエロースの劣性を示そうとする意図でするのではないのだ。〔中略〕われわれは事実の判断に関心を持っているのであって、価値の判断に関心を持っているのではない。」    

 もちろん、ニーグレンが尊い愛と考えているのはアガペーである。しかし彼は、本書においてはこの価値的なテーマには入り込まず、あくまでも、アガペーとエロースの概念がどのように展開し、融合し、また分離していったかを歴史的に明らかにしようとするのだ。


2.旧約聖書におけるアガペー

 旧約聖書と新約聖書では、神の存在の仕方に大きな相違があると言われている。

 端的に言えば、旧約聖書の神は裁きの神であり、新約聖書の神は許しの神である。

 それゆえ、愛においても、旧約と新約の神はその本質を異にするように見える。

「神は契約の神なるゆえに愛の神だったのである。契約の確立と立法の授与は神の愛の最高の現われだった。しかし、この事実によって、神の愛は契約と立法の制限に束縛されたのである。」

「神の愛は(よく考え給え)神を畏れる人々に示されるのだ。正しい人に示されるのであって、罪人たちには示されない。」

 しかしニーグレンは言う。それでもなお、旧約聖書において、神の本質はやはり愛であると。

「すでに旧約聖書の中で、われわれは神の愛がその対象の価値如何によるものではないという示唆を見出している。」


3.アガペーの特質

 では、神の本質であるアガペーの特質はどこにあるのか? ニーグレンは言う。

(1)アガペーは自発的で、「誘発されないもの」である。
(2)アガペーは人の功績にかかわりがない。
(3)アガペーは創造的である。
(4)アガペーは神との交わりの道を開く。

(1)と(2)については、説明は不要だろう。

(3)について、ニーグレンは次のように言う。

「それはそれ自体の中に愛される価値のあるものを神が愛するということではない。その反対に、それ自体の中に価値のないものが、神の愛の対象であるという事実によって価値を得るということである。〔中略〕神から愛される人は、みずからのうちに何らの価値も持ってはいない。」

(4)については次のように言われる。

「その結論は、人間の側から上に到達できる道はない、ということになるのである。」

 キリスト教において、愛は常にこの神のアガペーを模さなければならないものである。

「キリスト教の愛は神から示された愛の中に模型を持っている。従って、それも自発的で、誘発されないで、非打算的で、無制限で無条件でなければならない。」

 しかしここには1つの問題がある。

 不完全な存在である私たち人間が、一体どうやって神のような愛を手に入れることができるのだろうか?

 ここに、神への絶対的服従というテーマが起こることになる。神に服従することで、私たちは神のアガペーを手に入れることができるのだ。

「それは神に対する人間の無条件降伏である。そしてこれが、それを派生的な意味で真に自発的なものにするのである。」    


4.パウロのアガペー

 当初はキリスト教の迫害者、しかしその後キリスト教の礎を築くことになったパウロは、「キリスト教の第二の創立者」と呼ばれている。

 彼の思想がイエスのそれとはいくらか異なったものであったことはよく知られているが、ニーグレンは、アガペーの概念については、彼はイエスの思想に忠実であったと主張する。

「彼は今や、人間から神に至る道などはなく、ただ神が人間のもとに来るために作り給える道だけがあることを、確かにしたのである。」

 また、アガペーという用語を採用したのは他ならぬパウロ自身であった。

「といっても、彼がこの語を造り出した、と言うのではない。〔中略〕というのは、キリスト教徒でない著述家たちのものに見られるし、そこでは決して特にキリスト教的な意味に用いられてはいないからである。」

「しかし、今やキリスト教的なアガペーの観念が固有の名称を得たのである。」

 こうしてパウロにおいて、キリスト教におけるアガペーの概念の基礎が作り出された。

 それはすなわち、神における絶対的な与える愛である。

「もしもアガペーが、キリストの十字架に示されている愛のように、全く自発的で、誘因のないものであるなら、アガペーという名は、神に対する人間の態度を示すため用いるのに適当であるはずがないからである。神について、人間は決して完全に「自発的」ではない。」


「彼はアガペーという語を、人間に対する神の愛のためにとっておくのである。すべては神からくるのである。」


5.プラトンのエロース

 以上のようなアガペーの概念と、プラトンにおけるエロースの概念は、先に見たようにまったくの別物であるとニーグレンは言う。

 では、エロースとは一体何なのか?

 まず彼は、プラトンとオルフェウス教との関係に言及する。

「この神話によると、ゼウスはその子のザグレウスすなわちディオニソスに、世界の支配権を与えようと決心した。しかし、彼がまだ子供だった時、ティタンたちが彼を捕えることに成功し、殺して、むさぼり食った。ゼウスはそこでティタンたちを稲妻で打って滅ぼした。そしてティタンたちの灰で彼は人類を作ったのである。」

「ティタンたちの灰で作られた人間は邪悪で、神に反目している。しかし、ティタンたちの灰の中には、やはりかれらのむさぼり食った神の性質が残っていたのであるから、人間は自己の中に神の要素をも持っているのである。このように人間は生来二つの世界に属しているのだ。」


「人間の二重の性質、霊魂の神性の起源と特質、それの感覚の束縛からの解放、本来の神の故郷への上昇——この概念が、あらゆる形で現われるエロースの観念の普通的な基盤である。」

 人間はもともと神であった。そしてそれゆえにこそ、私たちは再びその地位をめがけて上昇しようと欲するのだ。

 この上昇の運動こそが、エロースの基本性格である。

 ニーグレンはエロースの特徴を3つ描き出す。

「すなわち、エロースは欲望の愛である、エロースは神に至る人間の道である、エロースは自己中心の愛である。」

 まず「欲望の愛」としてのエロースについて。

プランは欲望の愛以外の愛の形を知らない」とニーグレンは言う。


「その結果、愛は必ず価値を持っていると見られる対象に向けられねばならないし、欲望と価値は相関的なもので、ただ価値を持っているものだけを、愛し、欲求してよい、ということになるのである。それだから、自発的で「誘因のない」愛を想像することさえ、プラトンには不可能なのである。」

 次に、「神に至る人間の道」としてのエロースについて。

 ニーグレンは、ここにあるのは人間側の上昇の運動であって、神の下降の運動ではいささかもないと主張する。この点において、エロスはアガペーとは完全に異なる概念である。

 最後に「自己中心の愛」としてのエロースについて。

 エロースは、どこまでも自分の幸せを追求するものである。そこに、神のアガペーに見られるような絶対的な与える愛は存在しない。

 こうして、ニーグレンは本書の結論を改めて次のように述べる。

「われわれが今、愛の「諸関係」の考察を要約しようと試みるなら、問題は結局、エロースとアガペーはあらゆる点で正反対である、ということになるのは明らかである。」




(苫野一徳)



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